ウサギとカメの物語



ところ変わって、ここは女子更衣室。


私は錆び付いて年季の入ったパイプ椅子に座りながら、やたらと化粧ポーチからパウダーを取り出したり、チークを取り出したり、リップを取り出したり。
忙しなく手元を動かしていた。


やっていて、何をやっているんだとハッと現実に己を引き戻して鏡で自分の顔を確認する。
さっき十分に化粧(またの名を顔面塗装と呼ぶ)は直したじゃない!
それとも何?
厚塗りして舞妓さんみたいになりたいの?
チーク濃くしておてもやんになりたいの?
リップばかり塗りたくってなれもしない海外セレブになりたいの?
違うでしょうが!


更衣室の一角で苦悩していると、奈々の呆れたような声が聞こえた。


「ねぇ、一体いつまでそこに座ってる気?」


顔を上げると、 帰り支度を終えた奈々が 人を怪しむような目つきで、私をジロリと見ているところだった。


「いつも化粧直しなんかしないでとっとと帰るくせに!怪しい〜!誰かとデートだな?言えっ、誰とデートだ!この間の合コン相手のディーラーか?それとも声かけられたっていう年下の大工か?」


奈々が口にした男たちは、実るどころか芽も生えなかった人たちだった。
私の恋愛事情をこんなにも事細かに知っているのは彼女くらいだ。
ディーラーとの合コンも、奈々だって一緒に行ったくせに。


「訳あって今は言えないけどさ〜……、まぁ、上手くいったら言うから」


さすがに女子更衣室で他の女子社員もいるというのに、社内でも大人気の熊谷課長と2人だけで食事をしに行くなんて絶対に言えるはずがない。
誰かがチラッとでも耳に入れたなら、あっという間に明日の朝には情報が拡散して、そして面白いように尾ひれがついた有りもしないデマを流されるに決まっている。


それだけは全力で阻止しなくては。
そのためにも、今は奈々にも言ってはいけないのだ。


自分でも普段とは全然違う明らかなデート服を着てきてしまったということは自覚している。
袖に控えめなフリルのついたシックなブラウスに、ストライプのタイトなスカート。
こんなタイトなスカートなんて、本来は歩きにく過ぎて却下なのだけど。
いつもと違う印象を持ってもらいたくて頑張って履いてきてしまった。