依田は、当時俺の部下で、歳は俺より6つ下だった。スキルは程々だが、素直で愛想が良く、真面目で、俺の言う事は何でも聞いていた。

 周囲からの人望もあり、俺は彼を自分の後継者にするつもりだった。飯や酒を奢る事も多かったが、時には厳しい事も言った。それはひとえに依田に成長してもらいたいからで、それは依田も理解してくれていると思ったんだ。

 また、俺は依田を全面的に信頼し、彼には何でも話した。俺のプライベートな事までも、包み隠さず。ところが、それらが仇になった。

 それらがみんな、話のネタにされていた。話というのは、俺に対する誹謗中傷だ。単に悪口なんて呼べるレベルではない、酷い悪口雑言だった。

 俺は、あの怪文書の全てを読んではいない。途中で吐き気がして、読めなかったんだ。それを唯一人に見せたのは野田だが、野田は最初の一枚を読んだだけで、俺に紙の束を突っ返して来た。気持ち悪くて、読んでいられないと言って。

 依田のメールの相手は、つい最近契約が満了した関連会社の契約社員の女だった。その女の仕事ぶりに俺は不満を持ってはいたが、自分の部下ではないので、直接注意したりはなかった。それはおろか、殆ど喋った事もなかった。つまり、依田が女に合わせたのではなく、女が依田に合わせて会話が成り立つメールだった。ちなみに、依田と女の関係がどれほどだったのか、今はどうなのかを俺は知らない。興味もない。


 その怪文書の事を俺は公にしなかった。上司である部長にも、誰にも言わなかった。野田を除いてだが。なぜなら、あれは個人的な問題であって、業務上の問題ではないからだ。もっとも、人から同情の目で見られたり、逆に嘲笑されるのが嫌だから、というのもあったのだが。


 ただし、依田本人にはその文書を俺は見せた。何かの間違い、もしくは誰かの陰謀ではないか、という一縷の望みもあり、かなり嫌だったが本人に確認したのだ。すると依田は、見る間に顔を青ざめさせ、俺は、事実と認めざるをえなかった。

 間もなくして依田は辞表を出し、いつしか俺が依田を追い出したと噂されるようになった。もちろん、俺はそれを否定する事はしなかった。人の噂なんか、もうどうでもよかった。その時既に、俺はすっかり人間嫌いになっていたんだ。


「あんたはあまり気にしてないみたいだけど、私は気になるのよね」


 野田は呟くようにそう言ったが、何の事だろうか……