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夕暮れの由比ヶ浜は冬とは思えないほど穏やかで、多くのサーファーが波に向かっていた。



看護学校の卒業試験になんとか合格したわたしは、波打ち際を歩きながらはしゃいでいた。



「犬と散歩してるみたいだな」


わたしのテンションの高さに苦笑いしながら、優しい年上の彼はふわりとマフラーを巻いてくれた。


「あったかいね」

「首輪の代わりな」


学生のわたしには、5歳年上の彼はまだわたしが知らない社会の中で生きているというだけで、ものすごく大人だと感じていた。


「卒業できても国家試験に落ちたら看護師にはなれないんだろ?」



「うっ・・・・・・」

わたしは胸を押さえて苦しむ素振りをした。

「今はまだ国試のことは考えたくない・・・、やっと卒試が終わったのに」


彼は笑って、わたしの手をとった。
大きな暖かい掌に包まれただけで、この手に守ってもらえるのなら、わたしは何があっても大丈夫だと言いきれるような安心感が生まれた。


「大丈夫だよ、日向子がいつも頑張ってるのは見てるから」


彼はいたずらっぽく笑う。


「国試に落ちたら、専業主婦になればいい」


はっとして顔あげた。
優しい彼の顔があった。




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「在原さんに不満がある訳じゃないのよ」


母の、辛そうな顔を見ていられなくて、わたしは俯いて浴衣の合わせを弄った。





逗子の花火大会の後、花火の余韻と終わってしまった寂しさに浸っていたら、急に彼が真面目な顔になった。


普段あまり見られない、緊張した面持ち。

ああ、プロポーズされるんだな・・・ なんて、かわいくない予感。



・・・映画みたいだ、と思った。


無事に看護師になり、救命病棟で必死に働いて1年半。衛生的手洗いと消毒薬で荒れた薬指にはめられた指輪は、花火より輝いて見えた。


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「在原さんは素敵な人だし、日向子のことを大切にしてくれそうだとも思うわよ。でも、在原さんは一人息子なんでしょう?」


母は、わたしの指に光る指輪を見ながら言った。


わたしは二人姉妹の長女で、幼い頃から宮本家を継ぐものだと言い聞かされていた。

わかってはいたんだ・・・、それでも、大人げない反抗心が弱々しい言葉になって出る。


「由紀子が継いでくれたらいいじゃん」


情けないくらい、小さな声だった。


妹を犠牲にするような、両親をがっかりさせるような、そんな結婚を望んでいるわけじゃない。


ささくれた指に光る華奢な指輪が、とたんに重く不釣り合いに思えた。