「ごめんなさいね…大丈夫って伝えて。私達は幸せだからって。」
「大丈夫です。薫さんの声はちゃんと聞こえてますから。」
村木は触れることが出来なくても、その腕で薫を抱きしめた。
「もうすぐですね…。」
椋は時計を見た。
もうすぐで待ち合わせ時刻になろうとしている。
「僕は自分の席に戻ります。」
村木は席を立とうとはしない。
椋は立ち上がり元いた席に戻ろうとした。
「椋くん、此処に居てくれないかしら。」
「えっでも娘さんが…。」
「いいのよ…あの子には全部話したの…さすがに実の父親が死んだ事を隠すなんて出来ないわ。今の主人が打ち明けようって言ってくれたのよ。」
村木が驚いた表情を見せた。
椋はまた薫の席に戻った。
「それで、あの子に打ち明けたわ。」
「それで?」
「じゃ知ってたって言うんだもん。主人と二人で、びっくりしたわ。それから、ちゃんと進一郎さんとお別れしたの。灯…泣いてた。冷たいなった進一郎さんにしがみついて…子供みたいに泣いてたわ。」
村木の顔が一層悲しみに満ちた。
「灯さんは、その後大丈夫なんですか?」
「あの子はあの子なりに進一郎さんの事を受け止めたんだと思うわ。それにいつまでもクヨクヨしてられないわ、今は一児の母親になったんだもの。そんな暇ないぐらい大変なのよ、子育ては…。」
カランコロンとドアベルが鳴り一人の若い女性が赤ちゃんを抱いて入ってきた。
赤ちゃんは元気な声でよく泣いていた。
「灯!こっちこっち!」
店内を見渡していた女性は薫が手を振っているのを見つけると笑顔で答えた。
しかし、すぐに向かい側に座る中学生を見つけると不思議そうな顔をした。
「もう…大変…この子ずっと泣いてて…。」
凄く疲れ果てたように感じた。
「どれどれ、おばあちゃんが抱っこしてあげましょうね。」
灯は自分の腕の中で泣き止まない我が子を薫に預けると運ばれた水を一気に飲み干した。
「で、お母さん、この子は誰よ!?」
椋の事を指差し灯は薫に詰め寄った。
「初めまして、神倉 椋と言います。」
「はぁ…。」
あっ目元が村木さんに似ていると椋は思った。
「進一郎さんのお友達ですって。」
「はぁぁ?!こんな中学生の子がお父さんの友達??」
愛おしく灯を見ていた村木が自分の事をお父さんと呼ぶ事を知り嬉しそうにした。
「はい、ちょっとした縁があったので…。」
「縁って…どんな縁よ!?」
とてもサバサバした性格だと思った。
「赤ちゃん…。」
「うん?何?抱っこする?」
灯は急に母親の顔を見せた。
「いえ、抱っこはいいです。」
椋は慌てて拒否をした。
あんなに小さくて今にも壊れそうな物を触りたくなかった。
「名前なんて言うんですか?」
「英進って書いて–えいしん−っていうの。実の父親と今の父親から一文字ずつもらったの。」
そう言った灯の表情は幸せに感じた。
村木は涙を拭った。
「今のお父さんは嫌がらなかったんですか?」
「そっか、普通はそう思うよね…でもね、父さんは良い名前だって言ってくれたの。君が思うより懐ろのでっかい人もいるんだよ。ねっ?お母さん。」
薫はふふっと笑った。
「二人は幸せなんだな。」
不意に村木がボソッと言った。
「そうですね。」
「えっ何が?」
「灯…あのね、信じられないかもしれないけど…。」
「薫さん!?」
「いいの。この子は大丈夫よ。」
言わない方がいい事もあると椋は思っていた。
実際村木の願いは叶えられたのだ。
敢えて言わなくてもいいかなと椋は思っていた。
「何が?」
「椋くんは進一郎さんの友達みたいなもんなんだけどね…進一郎さんが死んでから出会ったんだって。」
薫が言った言葉を理解しようとしているのか灯は微動だにしない。
「灯?灯、聞いてるの?」
「う…ん、聞いてる。じゃなに…この子幽霊が見えるって事なの?」
「はい、全部じゃないですけど…亡くなられてから、すぐの頃僕のところに村木さんが来ました。」
「そう…。」
「驚かれないんですか?」
「これでも最高驚いてるわよ。」
「えっでも…。」
「でも、お母さんは私に嘘言わない。だから信じるしかないじゃない。…此処に居るの?」
「はい…すぐ隣に立っていて灯さんを見つめています。」
灯は隣を見つめたが、その目線は当たり前の様に空を切った。
「お父さん…私幸せよ。英進も元気だって健診で褒めてもらったよ。」
灯は何も見えない場所話しかけた。
「椋くん、お父さんに伝えて。」
「聞こえてます。村木さんが話せば僕が言います。だから、そのまま話しかけてあげて下さい。」
灯は頷くと再度話し始めた。
「お父さんの記憶あんまりないんだ。でもね、いつも夢で見てたんだよ。父さんと違う大きな手が私の頭を撫でるの…きっとお父さんだったんだって今は思える。お父さん…なんで死んじゃったの?」
言わないでいようと決めていた言葉に思えた。
その言葉が引き金になり灯は大粒の涙を流した。
「今、私お母さんになったの…英進を抱っこしてると、お父さんにも会わせたかったなぁとか、抱っこして欲しかったなって思ってしまって泣けてくるんだよ。」
村木は堪えきれず灯を抱きしめた。
「!!!」
「灯?」
「今…抱きしめられた?」
「えっ!?」
薫と椋の声が重なった。
「椋くん!今お父さん私を抱きしめなかった??」
「はい…抱きしめました。でも、なんで?」
「だって、ここが温かくて…。」
灯は自分の体を包む様な素振りをみせた。
「じゃ英進も抱っこして!私が抱っこしてるから!」
灯は薫に抱かれた英進を受け取ると村木が居るであろう空間に差し出した。
村木は戸惑っていた。
「村木さん!!」
椋はたまらず村木を促した。
「いや、でも俺なんかが抱っこしても…。」
「椋くん、お父さん抱っこした?」
「いえ、躊躇ってます。自分はするべきではないと…。」
「するべきに決まってるじゃない!!英進はお父さん孫なの!お父さんは英進のおじいちゃんなんだから!」
「おじいちゃん…。」
村木は優しく孫である英進を抱っこした。
この光景を自分しか見えていないことが、椋は申し訳なくなった。
村木が英進触れた瞬間、英進は村木笑いかけ手を伸ばした。
愛おしそうに村木は、その小さな手にキスをした。
「英進には進一郎さんが見えてるのね…。」
「村木さん!!」
突然叫んだ椋の声に灯が驚いた。
「なに??」
「もう、時間みたいです。」
「時間って…いなくなるの?」
「はい、僕のところに来たのは未練があったからです。その未練は灯さんと英進くんでした。だから願いが叶った今、もう未練がなくなったんです。」
「そっか、そうだよね。ちゃんと逝くべきところに逝かなきゃダメだよね。」
「椋くん、伝えてくれるかい?」
「はい。」
「薫…最期まで面倒かけてすまなかった。ありがとう。やっぱり君捨てた事は間違いじゃなかったんだね。君にした中で唯一良かった事だと思うんだ。」
一語一句漏らさずに伝えた。
「馬鹿ね…進一郎さんがした良かった事は灯を授けた事が一番よ。」
今までで一番優しい笑顔だった。
「灯、君が生まれてきてくれた事は私にとって一番の幸せだった。こんな私をおじいちゃんにもしてくれた。私が言うのも説得力がないが、幸せになってくれ。今以上もっともっと。」
「お父さん…。」
「椋くん。」
「はい?!」
急に指名され椋は驚いた。
「君には感謝してもしきれない。君は素直でいい子だと思うんだ。でも、その素直さは時として敵を作りかねない。自分の言動には責任がついてくる。だから、気をつけるんだよ。私のような人間を助けてくれて、本当にありがとう。」
村木は深々と頭を下げた。
「私は一人じゃなかった。ちゃんと愛されていたんだな。みんな幸せになってくれ…。」
その言葉を最後に村木の姿は消えた。
「逝っちゃった?」
灯に聞かれ椋は頷いた。
「ありがとう。椋くんのおかげで、お別れ出来たわ。進一郎さんも幸せだったんじゃないかしら。」
『死んでしまった後に気付いても遅いんだ。』
その言葉は村木の最後の言葉が過ぎったので、飲み込んだ。
椋はその日ゆっくり家路に着いた。
家に帰ると玄関では仁王立ちした母親が立っていて、入るなりゲンコツをくらった。
「なんだよ!?いきなり殴らなくてもいいじゃん。」
「何時だ思ってるの!!9時よ、9時!中坊が出歩いていい時間じゃないでしょ!!!」
「ごめん。気をつけるから。」
「不良なんかになったら、お父さんに顔向けできないじゃない。」
「そんなのにはならないから…。」
「さっさと手洗いうがいして、着替えてらっしゃい。晩御飯するわよ。」
「はぁ〜い。」
椋は言われた通りに手洗いうがいをしてから二階の自室向かった。
着替えて下に降りると良い匂いがしてくる。
テーブルにつくと、椋は自分を待っていた事に感謝をして、手を合わせた。