4度目の喫茶店に訪れた時、村木は椋に提案をした。
「椋くん…私は思うんだけど、木曜日ではないいんじゃないかな?」
「えぇそうかもしれませんね。」
「じゃどうして曜日を変えないのかな?」
「今日で4度目ですが、多分僕が木曜日がいいんです。」
「椋くんが?それじゃ私の願いは叶えられないかもしれないじゃないか。」
椋はコーヒーを一口飲んで静かにカップを置いた。
「そうですね…。」
「じゃ来週毎日来てみないか?」
「そんなに、お小遣いはありません。」
村木は椋が中学生という事を、すっかり忘れていた。
「そっか、そうだよね。」
「大丈夫ですよ。今日辺り来ると思いますよ。」
「なんで、そう思うんだい?」
椋は本を閉じるとテーブルに置いた。
「村木さんに身内は居なかったんですよね?」
「あぁ両親は私が二十歳の頃に続けて亡くなったからね…。」
「そうなると、村木さんの身元引受人が居ないとなります。」
「そうなるね。」
「戸籍上他人になったといえども、一度は身元となった薫さんに連絡は入ると思います。」
「そうかな、うん、そうかもしれない。」
「結果、もし引受人となった場合、色んな手続きや心が落ち着く期間として三週間程かかっても不思議ではありません。」
「ほぉ。」
「ですから、今日辺り来るかもしれないと僕は思ったんです。」
「前から思ってたけど、椋くんは本当に中学生なのか?」
「どういう意味ですか?」
「いや子供らしくないというか、大人びてるなぁと思って…。」
「それは褒め言葉として受け取っておきますね。」
村木は少し困った表情を見せた。

来客を知らせるドアベルがカランコロンとなった。
村木は振り返った。
この数週間で条件反射になっていた。
入り口には細身でショートヘヤがよく似合う女性が立っていた。
「久しぶりだね。」
店主の老人が声を掛けた。
「こんにちわ。」
そう言って女性は窓際の席に座った。
村木は黙ったまま女性の動きを目で追った。
「薫さんですよね?」
椋は村木に確認を取った。
村木は黙ったまま一度だけ頷いた。
「薫…少し痩せた…?」
「痩せたというより、窶れたんじゃないですか?」
椅子に後ろ向きに正座で座り、背もたれを掴みながら薫を見てた村木は勢いよく振り返った。
「あっ悪気はありません。」
「わかってるよ。」
この数週間で村木は椋の性格を知ったというより、慣れた。
「じゃ行きますか。」
「行くって…?」
椋は立ち上がり席を離れた。
「ちょ…ちょっと椋くん!?」
椋は村木の言葉を聞いてないかのように、スタスタと歩き薫の前に立った。
「こんにちわ。」
「えっ私?」
「はい、はじめまして。僕は神倉 椋と言います。」
「はぁ何かしら?」
明らさまに怪訝な表情を見せた。
「村木 進一郎さんの事でお話がしたいんですが、ここいいでしょうか?」
「進一郎さんの事!?あなた何なの!!」
「ですから、それを今からお話したいんです。」
「……待ち合わせしてるから、それまでなら…。」
「はい、ありがとうございます。では、失礼します。」
椋は薫に向き合う形で椅子に座った。
村木の事を考え奥に座った。
その行動が、また薫の表情を曇らせた。
村木は椋の隣に座った。
「椋くんの言った通り窶れたんだ…。」
村木はボソッと独り言を呟いた。
薫を見つめる目が椋は違和感を感じた。

「で、進一郎さんの事って何かしら?!」
明らかに不機嫌な態度を示した。
「単刀直入に言います。嘘を言っても僕には、何のメリットもないので…。」
「だから、何!?」
「僕の隣に村木さんが居ます。」
時間が止まったような沈黙が数秒流れたが、薫の怒号で途切れた。
「はぁ何言ってんの!!大人を馬鹿にするのは止めなさい!!」
薫はテーブルを強く叩いた。
「いえ、馬鹿になんてしていません。初めに言いましたよね。僕にはメリットがないと…。」
ツンツンと村木が椋の肩を突いた。
「何ですか?」
何も無い場所に向かって話してる姿は、薫には滑稽思えた。
「そんな言い方しなくてもいいんじゃないかなって…。」
「僕は本当の事しか言っていません。」
「いや、それはそうなんだけど、もっと優しくと言うか相手の立場になって言葉を考えるとか…。」
「それは今、必要ある事ですか?」
「いや、それはだね…。」
薫は椋に詰め寄った。
「さっきから、誰と話してるの!?」
「ですから、村木さんです。」
「あなたね!!」
「では、僕はまだ貴女の名前を聞いていません。ですが、ここに居る村木さんから聞いてるので答える事が出来ますが聞きますか?」
椋は敢えて意地悪な言い方をした。
「なっ…そんな事事前に調べればわかる事じゃない。」
「ですから、仮にそうしてたとしても僕にメリットがないと何度も言ってますよ。これで、3回目です。」
「………っ。」
今までで一番の眉間の皺だと椋は思った。
「花村 薫さん、旧姓 新田 薫さん。娘さんが3歳の時村木さんと離婚、1年後今の旦那さんと再婚。娘さんはあかりさん。火が灯るの灯る一文字で、あかり。命名は村木さんですよね。将来が温かく灯ると願いを込めて。」
感情を全く感じさせずにスラスラと話す椋に薫は呆気に取られた。
椋の隣では伝えたい一心で、村木が沢山の情報を椋に伝えていた。
「灯さんは難産で35時間かかった。産まれた時は廊下で万歳をして、村木さんは看護師さんに怒られたそうですね。村木さんが薫さんに言ったプロポーズの言葉は今でも覚えているそうですが…。」
「いいわ…言って。」
「二人で歳を重ねて行こう。と…。」
薫の頬に涙が伝い流れた。
「椋…くんって言ったわよね。」
薫は指先で涙を拭い真っ直ぐに椋を見た。
「はい。」
「貴方が言ってる事は本当みたいね…その事は誰にも言った事ないことよ…。私と進一郎さんしか知らない事だわ。」
薫はすっかり冷め切ったコーヒーを飲んだ。
「今も居るの?その…進一郎さん…。」
目が見える事のない村木を探す。
「はい。先程まで僕の隣に座ってましたが、薫さんが泣かれた瞬間、薫さんの隣に座りました。」
そう言われ薫は隣を見た。
「いえ、反対側です。」
「あっこっち…って言っても私には見えないんだわ…。」
とてつもなく悲しげな表情を見せた。
幽霊でも会いたいという事か?!
先程村木に感じた違和感を薫にも感じる。
「待ち合わせと言っていましたが、それが本当なら相手は娘さんですか?」
「本当ならって…。」
「いえ疑っているわけじゃなくて…。」
「わかってるわよ。初対面の貴方を遠ざける為に言った事かもしれないって事でしょ?」
「はい、そうです。」
「本当よ。6時に待ち合わせしてるのよ。今日は午後から健診で近くに来てるからって…。」
「健診…何ヶ月なんですか?」
「えっあぁそれも進一郎さんから聞いてるのね…。もう、産まれたわ。」
隣で聞いていた村木は椋を見て満面の笑顔を見せた。
「村木さん…よかったですね。」
不思議な顔で見ている薫は説明をした。
「それで、未練があるって事なのね…。」
「はい。」
「死んでまで迷惑かけるなんて…進一郎さんらしいわ。」
ふっと薫は笑った。
「一つ聞いてもいいですか?」
「なぁに?」
「お二人は何で別れたんです?別れる理由が僕にはわかりません。今でもお互いを愛しんでいる様に感じます。」
「それはね…当たり前よ。だって嫌いになったり、憎んだりして別れたんじゃないんだもの。」
「じゃ、何でですか?」
薫が話そうとしたが村木が話し始めたので、椋が薫を制した。
「私の借金が原因なんだ…友人の保証人になっていた私は友人の借金を背負う事になった。けれどその額はあまりにも大きくなっていて…次第に替えせなくなって利子やなんやら膨れ上がって別れる頃には家にまで催促の電話が毎日毎晩鳴ってたよ…別れを切り出したのは私の方だ。薫は頑なに拒んだんだが、離婚届を置いて、私は薫と灯を置いて家出た。結局私は妻と娘を捨てたんだ。それが、この前偶然に会った時、薫は私を責めるどころか、生きてたんだと泣いてね…。」
「じゃ尚更何故自殺なんてしたんですか!?泣いてくれる人が居るのに!悲しむ人が居るのに!!」
「今も借金は残ったままなんだ…何処で嗅ぎつけたのか薫や灯の事を言われたよ。迷惑はかけたくなかったんだ。どうしても、二人には…。」
そこまで言って村木は静かに泣き出した。
「進一郎さんは何て?」
村木は椋に言っちゃ駄目だと目線を送った。
「薫さんと灯さんの幸せを願っていると…。」
「進一郎さんは何で自殺なんてしたの?警察の人から連絡を貰って死因を聞いた時、膝から崩れ落ちたわ。自殺なんて…」
「突発的に嫌になったと…今は後悔してるって。」
椋は何と言えば正解かわからなかった。
ただ、目の前に居る薫さんの涙を止めたいと思った。
人の心を動かす言葉を椋は思いつかない。
ただ黙って時が過ぎるのを待つのみの、この時間はいつも苦痛を伴う。
自分の無力さを痛感しなければいけない、この時間が椋は嫌いだった。