俺が職場に戻ってから数分後に、チーフも戻って来た。うちの部で、まだ帰っていないのは俺とチーフだけだ。

 チーフは泣いたからだろうけど、目が赤かった。それを見た俺は、可哀想に思う反面、意地悪したくなってしまった。


「チーフももう上がりますか?」

「え? ええ、そのつもりだけど?」

「そうですか。なら、一緒にご飯を食べに行きませんか? たまには……」


 今日の昼間のように、チーフと二人で昼食を食べた事なら何度もあった。しかし不思議と、夜はなかったと思う。もちろん酒を飲みに行った事も。それで“たまには”なのだが、チーフは何と言って俺の誘いを断るだろうか。


「えっ?」


 チーフは即答で断ってくるとばかり思ったのに、驚いたような表情で固まってしまった。一瞬、どうしたのかなと思ったが、おそらくちゃんと聞こえなかったのだろう。


「ご飯ですよ。何ならお酒を飲んでもいいですけどね」

「あ、ごめんなさい。昨日の今日だから……」

「ですよね。それに、チーフは風邪気味ですもんね。目が赤いですよ?」

「そ、そうね。ごめんね?」

「いいえ」


 チーフは俺から目を逸らし、帰り支度を始めた。


「じゃ、お先にね」

「はい。お疲れさまでした!」


 チーフはバッグを肩に掛け、いったんは帰りかけたのだが、不意に立ち止まると俺を振り向いた。


「佐伯君」

「あ、はい」

「あの、今度また誘ってくれる?」

「…………は、はい」


 今度こそチーフは帰って行ったが、そんな彼女の後ろ姿を、俺は呆然と見つめてしまった。

 今のは何だったんだろう。俺を振り向いたチーフの顔は、火照ったように赤かったと思う。そして、恥ずかしそうに“また誘って?”と可愛らしく言い、俺はその不意打ちにやられ、すぐに返事が出来なかった。

 ひょっとして、チーフも俺の事を……なんて一瞬思ったが、それはただの思い過ごしだ。チーフは断る時の常で社交辞令を言い、顔が赤かったのは本当に風邪を引いたからだと思う。

 それどころか、今頃は愛する美樹本さんの元へ急いでいるわけで、それを思うと無性に腹が立ち、俺は平手で机をバシッと叩いた。思いのほか痛く、すぐに後悔したけども。