だから咄嗟に体が動いたんだ。
それは、あまりにも無鉄砲で、馬鹿な行為だった。
百桃「ききっ、!」
焦った百桃の声を背にお兄ちゃんの手首に全身を使ってのしかかった。
その時の私はナイフをどうにか落とそうと考えたのだ。
…今思えば私がこの時そんなことをしなければ百桃が"死ぬ"ことはなかったと思う。
思い切り掴んだお兄ちゃんの手首は痛みで緩み、手からナイフが滑り落ちた。
咄嗟にそのナイフを拾い、倒れ込む百桃の前で守るように刃先をお兄ちゃんへ向けた。
斬られた百桃はろくに動けない。
ナイフを持っていなくたってお兄ちゃんに暴力を振るわれたら百桃だって本当に死ぬかもしれない。
もしそんなことになったら小さい私はお兄ちゃんを止められない。
だから、私はお兄ちゃんにナイフを向けた。
私がナイフを向けていればお兄ちゃんは百桃に近づけないし、私は丸腰ではなくなる。
そんな単純なことで完結していた。
それが裏目に出るとは知らずに。
希輝「おにいちゃん!もうやめて!どうしちゃったの!?もとにもどってよ!!おにいちゃん!!」
刃物なんてろくに持ったことのない私はナイフをそのままに訴え掛けた。
ただもう一度、お兄ちゃんが元に戻るように。
…けれど、それは無駄だった。
焦点のあっていない瞳がゆらゆらと怪し気に揺れ、脱力している体を無理矢理動かして、一歩一歩私たちに近づいてくる。
希輝「ひ、っこないでぇ…!!おにぃ、ちゃっ」
刃先は的を定めず揺れ、向きはそのままに無意識に後ずさる。
私がお兄ちゃんにナイフを向けたのは百桃に近づかせないためであり、刺すためではない。
だからこそ、あちらから近づかれたらどうしようも出来なかった。
希輝「おにいちゃん、おにいちゃんっおにいちゃんっっっ!」
お願い、元に戻ってよ!
必死で叫んだ。
必死で訴えた。
…それでも、ダメだった。
ナイフはもうお兄ちゃんの体にくっつくほど近くて、お兄ちゃんの手は真っ直ぐに私の首に向かってきた。
その時私は初めて気づいた。
"私"も殺す対象に入っているのだということに。
虚ろな目はぱっちり合っているはずなのにどこか焦点はおかしくて、その瞳に"私"は映っていないことに。
"私"は"虹羽百桃"を殺すには邪魔な存在で、お兄ちゃんにとって"妹"ではないのだということに。
首に手をかけられて、初めて気づいたんだ。



