「そ、そそそそ、そん、そんな、私はまだ早い! だって、だって、まだ、善くんとは……」

 あわわわ、と慌てすぎてソファから落ちそうな花音。

「なんだ」

 それを見ても表情ひとつ変えない真吏。

 だが。

「名前を呼び捨てにされただけで頭が爆発するくらい恥ずかしいのにぃっ!」

 のにぃっ! と広い部屋に花音の叫びが反響した。

 沈黙が訪れる。

 沈黙が流れる。

 沈黙が続く。

「……」

 真吏は難しい顔で腕組みをした。

 足を組んだ。

 溜息を吐いた。

「夕城の分家の跡取りだから、和食も作れた方が良いのではないかと更紗殿は心配していたぞ。他家のことにまで気を配って……あの御仁も暇だな」

「私の話聞いてたっ?」

「準備をしておくに越したことは無い。和音は、花音は夕城善以外の男など眼中にもないと言っていた。そうなのだろう?」

「そ、そうだけどおっ!」

「何を慌てている。お前たちのペースは、お前たちで決めれば良い。未だ名前の呼び方で右往左往するような付き合いとは驚いたがな」

「うわああん、ほっといてくださいい!」

「あまりにもゆっくりだが、それがお前たちなのだろう。恥じることは無い。ただ、いつ何事があっても良いように準備は怠るなと言っているのだ」

「だ、だけど……」

「橘本家はすでに和音が継いだ。お前一人嫁に行ったとて、橘が崩れるようなことはない。家のことは気にするな。お前が考えるべきは、将来の夫のことだ」

「お、おっとっ……」

 ぶしゅうう、と花音の顔から湯気が吹き出る。

「武家の嫁ともなれば、夫を立てることを第一に考えるべきだろう。家内を整え、守り、夫を影から助けるのを務めとせよ。我が妻のように」

 社長、真顔で惚気る。