なつの色、きみの声。



辺りが薄暗くなる頃に家に帰り、夜ご飯とお風呂を終えて縁側に座る。

火照った体をひんやりとした風が撫でて心地がいい。


朝から夕方まで一緒にいるのに、わたしと碧汰は寝る前のこの時間にもう一度集まる。

お互いの家に毎晩交互に待ち合わせていて、今日はうちの日。

夜空には、まるで宝石箱をひっくり返したように星々が無数に散らばる。

夜空に目を凝らし、碧汰を待ちながら流れ星を探していると、背後がパッと明るくなった。


「おばあちゃん?」


明かりがない方が探しやすいと思って消していた照明がつけられて、ぱちぱちと瞬きをしながら振り返る。

おばあちゃんは手に持っていた上着をわたしの肩にかけてくれた。

お礼を言うけれど、用事はそれだけではなかったようで、隣に座りわたしの名前を呼ぶ。


「みこちゃん」
「うん、なあに?」


おばあちゃんとおじいちゃんは、わたしのことを『みこちゃん』と呼ぶ。

お母さんも学校の友だちも碧汰も、みんな『海琴』と呼ぶから、その呼び方は少し照れくさくて、でも特別な感じがして嫌いじゃない。

緩みそうになる頬を引き締めようと軽く唇を噛んでいると、おばあちゃんはわたしの目を真っ直ぐに見つめて口を開く。


「みこちゃん、おばあちゃんたちと一緒に暮らさない?」


淡々と告げられた言葉の意味が、一瞬理解できなくて。

え、と小さく声を漏らすと、おばあちゃんは目を逸らさずに続ける。


「おじいちゃんとも話していたの。みこちゃんのお母さん、夏の間は一度も会いに来なくて、寂しかったでしょう?」
「……さみしく、ない」


発した声が自分でも驚くほど震えていて、両手で口元を覆う。


お母さんはわたしをこの家に連れてきたら、迎えの日まで絶対に会いに来ない。

2日に1回の電話は、心待ちにしている時間でもあるけれど、声を聞くうちに心細さが増すことだってある。

寂しいと感じない、というのは、嘘だ。


「なんで、そんなこと言うの?」


おばあちゃんたちと暮らすということは、お母さんと離れ離れになるという意味なのだと思う。

おばあちゃんの口ぶりからして、お母さんをこの家に呼んで一緒に暮らすと言っているわけではなさそうだ。


これ以上何かを口にしようとすると、目の縁に溜まった涙がこぼれ落ちてしまいそうで、精一杯の拒否を示すように首を何度も横に振る。


「おばあちゃんもおじいちゃんも心配なのよ。みこちゃんが学校のときもお母さん、帰りが遅いのでしょう?」
「お母さんは仕事だから仕方ないんだよ」
「仕方ないって、そう言われたの?」
「ちがう、お母さんはそんなこと言わない」


早く家に帰ってくる日だってある。

夜ご飯は用意してくれているし、遅くても眠る時間には帰ってくる。

眠るときと、朝起きたときは必ずそばにいてくれるから、いつも寂しいわけじゃない。

我慢は必要だって、ちゃんとわかってる。


「何かあってもすぐに行ってあげられないし、おばあちゃんたちはみこちゃんのことが大好きで大切だから、心配なの」


そんな言い方をされたら、何も言えないことをわかっているのだとしたら、おばあちゃんはずるい。

聞きたくない、と耳を塞ごうとすると、音を断つ前におばあちゃんの声が滑り込んでくる。


「それに、ここにいればそうちゃんと一緒の学校に通えるのよ」


碧汰と、一緒に。

ずっと首を横に振り続けていたのに、その言葉に何か一筋の光のようなものを見つけてしまって、ぴたりと手を止める。


「考えてみてくれない?」
「考える……?」
「すぐに決めてほしいわけではないの。お母さんにも話をしないといけないからね」


頷いたら、いつか答えを出さないといけない。

おばあちゃんから目を逸らして、早く去ってほしいと心の中で願っていると、がさっと草木の揺れる音が聞こえた。


「海琴、待たせた? って、もしかして話し中?」


隣の家との境界になっている垣根の合間から庭に入ってきた碧汰は、おばあちゃんが隣にいるのを見て足を止める。

止まらないで、早くこっちに来て、と心の中で必死に呼びかけていると、おばあちゃんが腰を上げた。


「ううん、そうちゃん、もう話は終わったからゆっくりしていって」
「わかった。おやすみ、ばあちゃん」


おばあちゃんが部屋を出ていくと、同時に碧汰が素早く走り寄る。


「何かあった?」


息の触れる距離に詰め寄り、小声で尋ねる碧汰と目を合わせられない。

顔を見られたら、泣きそうになっていたことなんてすぐに気付かれてしまう。

声が震えないように、一度唇を引き結んでから絞り出す。


「帰るの日のこと、話してただけだよ」
「本当か……?」


訝しげな碧汰の肩を押して、距離を取る。


だって、碧汰はわたしがここで暮らして、同じ学校に通うと言ったら喜んでくれる?

きっと、喜んではくれない。

わたしのお母さんへの気持ちを碧汰は知っているから、曖昧な理由では納得もしないだろう。


海で碧汰と言ったことが耳の奥に残っている。

『ずっと、こっちにいられたらいいのにな』

碧汰とわたしの願いは、叶うのに叶わないんだ。


全部を碧汰に話してしまいたいと思う気持ちを、声には乗せずに飲み込む。

苦し紛れに見上げた空には厚い雲がかかっていて、さっきまで煌々と輝いていた星は果てしなく遠い。


「流れ星、見えないね……」
「ん、ああ、そうだな」


どこか上の空でいたようで、碧汰はわたしの声で空を見上げる。


「見てなかったでしょ」


今初めて夜空を見たことがバレバレだ。

碧汰はお風呂上がりでぺたっとした髪の毛を指先で引っ張りながら、苦笑した。


「だって、おれは願いごとないからな」
「……ばーか」
「はあ? なんで」


ちょっと怒ったような声には応えずに、ふてくされたふりをして顔を背けると、碧汰はわたしの方に体を傾ける。

とん、と碧汰の頭がわたしの肩に触れた。


「……海琴」


不意に低い声が耳元に響く。

びくっと反応してしまい、身じろいだ拍子に碧汰の頭がわたしの肩から落ちる。

碧汰は項垂れるように顔を下に向けていて、膝に置かれた手を見ると、小刻みに震えるほど強く握りしめられていた。


「どうしたの、碧汰」


突然様子がおかしくなるから、距離の近さなんて気にせずに顔を覗き込む。

碧汰の黒い瞳の中に、戸惑う表情のわたしが映る。


「……ごめんな」
「え? なに……」


聞き返す途中で、掠め取るように碧汰の唇がわたしの唇の端に触れた。

目を見開いて固まっていると、碧汰は薄目を開けてわたしを見つめている。


「そう、た」


まだ触れそうな距離を保ったまま、名前を呼ぶと碧汰はハッとして後退る。

手の甲を唇に押し当てて、明らかな動揺が見て取れる碧汰に、驚きよりも心配が勝る。

手を伸ばそうとすると、碧汰は勢いよく立ち上がった。


「ごめん。帰る。また明日」
「あっ、碧汰!」


引き止めようと伸ばした手は碧汰には届かず、振り返ることなく去っていく。

ひとり残されて、指先で唇に触れる。

今のは、何だったんだろう。

唇同士が触れ合って、その意味も、わかる。

でも、続く言葉が『ごめん』の理由がわからない。

突然のその行動に対しての謝罪、だけではない気がした。


今の出来事、おばあちゃんの話、お母さんのこと。

色んなことが一度に起きて、頭がパンクしそうだ。


夜空の雲は晴れる様子もないし、疲れがどっと押し寄せて、流星群のピークだという夜中まで待っていられなかった。

不安な心を抱えたまま『また明日』を信じて、眠りについた。