碧汰の横顔を見つめながら、暑さのせいで急ぎ足な鼓動がさらに小刻みに震えていくのを感じる。
顔に集まる熱を自覚して、小恥ずかしくなり両方の手で頬を包む。
夏休みに入る少し前に、同じクラスの子たちとある話題で盛り上がったことを、ふと思い出してしまった。
いわゆる、恋バナ、というもの。
『好きな人、いる?』から始まって、皆は見知った男子の名前の名前を挙げていたけれど、わたしの頭に浮かんだのは碧汰。
そのときまで、碧汰のことを『好きな人』と考えたことなんてなくて、内心すごく動揺してしまっていた。
結局、学校の友だちに碧汰を知っている人はいないし、好きな人はいないと嘘をついたけれど、それを嘘だと思う時点で、自分の気持ちを認めてしまったようなもの。
一度気付いてしまったら、なかったことにはできない。
1年振りに会う碧汰は背が伸びて、顔立ちも以前より大人っぽく見えて、この夏わたしが毎日ドキドキしっぱなしなことを、きっと知りもしないのだろう。
今、この瞬間にも。
夕焼け色を吸い込んで赤く染まる碧汰の横顔から、目が離せない。
頬の熱も、胸の鼓動も、増していくばかりで、いつか弾けてしまうんじゃないかと思う。
「……そうた」
「なに? どうし、た……」
無意識に碧汰の名前を呟いてた。
パッと振り向いた碧汰はわたしの顔を見て目を見開く。
目が合って、耳の奥でドッと大きな音が聞こえて、急いで顔を背ける。
「海琴」
伸ばされた手を避けようにも、階段に座っていて咄嗟に身動きが取れない。
ぎゅっと目を瞑ると、ぬるい手のひらがぴたりと額に押し当てられた。
「あっつ! そんなに暑かったか? いや、熱? 風邪か!」
「そんなわけない……暑いだけ、だから、平気」
日差しのせいにするには熱すぎて、でも碧汰のせいだと口にする勇気があるわけがなくて。
どうか見つけないで、見つからないで、と強く願い、碧汰の手から逃れるように顎を引くと、触れていた手はゆっくりと離れていった。
この妙な空気を碧汰がいつものテンションで塗り替えてくれることを期待して黙っていると、碧汰が一人言のようにぽつりと呟く。
「あと1週間、か」
あと1週間。
それは、夏休みの終わりを示すと同時に、わたしがここにいられる残りの時間のことでもある。
1週間後にお母さんが迎えに来たら、わたしは自分の家に帰る。
期間の短い冬休みや春休みはおばあちゃんたちの家には来ないから、次に碧汰に会えるのは来年の夏。
さっきまでの熱はすっと引いて、寂しい気持ちがせり上ってくる。
帰りたくないとか、ここにいたいって言葉を、お母さんに口にしたことはない。
わたしのわがままでお母さんを困らせたくないし、悲しませたくないから。
それなのに、碧汰と離れたくないって気持ちも無視できないくらい、大きくて、とめどなくて。
鼻の奥がつんと痛んで、慌てて顔を手で覆う。
泣いちゃだめだ。
碧汰の前では泣いちゃいけない。
碧汰は時々意地悪なところがあるけれど、とても優しいから。
わたしが泣いたら、驚くしきっととても心配する。
「海琴、いいよ。大丈夫」
様子がおかしいことにとっくに気付いて、碧汰はわたしの隣に移動すると優しく背中をさすってくれた。
いつの間にか大きさの揃わなくなった手のひらはあたたかくて、余計に涙を誘う。
顔を覆っていた手はそっと取り払われて、きちんと息をしながら、ぽろぽろと泣いた。
去年の夏の終わりにも、同じ理由で泣いてしまっている。
そのときも、碧汰はこうして隣にいてくれた。
言葉なんて、いらない。
帰りたくないなんて言えないから。
だから、今だけは、この手のぬくもりにだけは甘えさせて。
「海琴さ……」
涙が自然に止まるのを待って、碧汰が何かを言いかけたけれど、そのまま口を噤む。
いつもははっきりとした物言いの碧汰が言葉を詰まらせるのは珍しい。
海沿いに建つ製鉄工場のブオォォォォという排気音と、絶え間なく行き来する小波の音が沈黙を埋める。
しばらくして、わたしの背中から手を離した碧汰が掠れた声で言った。
「ずっと、こっちにいられたらいいのにな」
それは、わたしにとって夢のような話。
簡単なことのようで、とても難しいのが現実。
わかっているから、碧汰も口にするのを迷ったのだと思う。
それでも言葉にしてくれたのは、わたしのためだ。
その気持ちと、言葉だけで、十分嬉しい。
「ありがとう、碧汰。また来年も遊んでくれる?」
「おう、当たり前だろ。ってか、まだ今年の夏も終わってないんだから、来年の話なんかするなよ」
しんみりとした空気を払拭するように笑って見せると、碧汰も普段の調子でにっこりと笑ってくれる。
「よし! それじゃあ、行くぞ!」
「えっ、うそっ! 碧汰、待って」
突然立ち上がった碧汰に手を引かれて、階段を駆け下りる。
砂浜に下りてからは、競うように波打ち際まで走った。
夕焼け色を上書きして藍色がかった空に一番星を見つけた。
このあと家に帰って、ご飯を食べて、夜が深くなる前にまた碧汰と縁側に並んで星空を見上げよう。
今朝の天気予報で、今夜は流星群が見られると言っていた。
この夏最後のチャンス。
もしかしたら、そのうちの1つに願いが届くかもしれない。
サンダルを脱ぎ捨てて汀に立ち、海面を蹴る碧汰に聞こえないように、小さく呟く。
「……また、碧汰に会えますように」
「なに? 海琴、今何か言った?」
「な、なにも言ってないよ」
碧汰はこんな小さな声にも気付くけれど、何と言ったのかまではわからなかったようで首を傾げる。
碧汰に聞こえていたら、きっと『そんなの当たり前』と笑われただろう。
でも、それは決して当たり前ではない、そんな予感がする。
夏休みに入ってすぐにこの町に来たとき、いつはすぐに帰ってしまうお母さんが車を下りておばあちゃんと話していた。
そんなこと今まで一度もなかったから心配で、こっそり様子を窺っていたらおじいちゃんに家に入るように促されてその場を離れたから、話の内容はわからなかった。
ただ、いつもと違うというだけで、不安を掻き立てるには十分だった。
ずっと、胸騒ぎがしていることを、碧汰にも誰にも話していない。
ねえ、碧汰。
わたしはあと何度、この町で碧汰に会えるのかな。
今回が最後になってしまうかもしれない。
そんな不安もあって、泣いてしまうんだよ。
お別れが寂しい以上に、次が絶対にあるとは限らないから、怖くて、不安でたまらない。
だから、せめて、どうしても流れ星にお願いをしたい。
『また、碧汰に会えますように』って。



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