「いや、それは相模の母さんが悪いだろ」
「え……」
「そんな大事なこと、普通は隠さない。相模、お前もっと怒っていいよ」
「でも、お母さんにも色々あって、言えなかったのかもしれないし」
「相模の気持ちは? その話だけ聞いてたら、最低な親としか思えないんだけど」
わたしの話し方のせいで、お母さんが悪く捉えられてしまっているのではないかと焦る一方で、大宮くんの言葉はわたしがほんの少し抱いてしまった違和感を肯定するものだった。
「てか、そんなことがあったなら休めよ。無理して来んな」
「家でお母さんと顔合わせる方が、今はきついよ」
「ああ、まあ、そうか」
それで結局怪我をして早退だなんて、怒られるかと思ったけれど大宮くんは納得したように頷くだけ。
「それで、相模はどうしたい?」
「どうって、お母さんとはすぐには話せないかもしれないけど……」
「何か、思ってることがある顔してる」
そう指摘されて、思わず大宮くんの顔を見つめる。
大宮くんの瞳に映る自分は小さすぎて、どんな顔をしているのかはわからない。
鏡を見たところで、自分では気付けないことのような気がした。
後悔の文字が昨日から頭の中を回っていて。
選べなかった、選ばなかった、あの町での日々を想像するとすぐに思い浮かぶ人たちに。
「……い、行きたい。会いたい」
声が震える。
碧汰に会って、今更どんな顔をすればいいのかわからない。
おじいちゃんだって、何年も連絡をしなかったわたしが会いに行ったって快く迎え入れてくれるとは限らない。
「なら、行けばいい。どこなんだよ、場所は」
「本当に?」
「何だよ、本当にって。行きたいなら行けよ。会いたいなら会えばいい」
「でも……」
煮え切らない返事に、大宮くんが苛立ってきてるのがわかる。
タンタンとつま先が地面を叩き、呆れたように言う。
「理由なんか後付けでいいんだよ」
「先に立たないといけないときもあると思う」
「行ってよかったか悪かったかがわかるのは行動した後だろ」
いよいよ舌打ちが落とされて、びくりと身構えるわたしに大宮くんが息巻く。
「面倒くせえな。どこなんだよ。明日行けんのか」
「あ、明日!? むりだよ、そんな急に」
「どこなのか早く言え」
もうわたしの意思は関係ないとでも言いたげに催促され、地名を伝えると大宮くんは一言、知らないと言った。
スマホのマップに表示して見せると、そのまま大宮くんの手に渡り、経路を調べ始める。
「こっち側、特急通ってないのか。電車とバス、乗り継いで二時間半……もっとかかるな」
「ほら……明日は厳しいよ」
「いや、行ける」
大宮くんは片手にわたしのスマホを持ったまま、自分のスマホで明日のシフト表を確認している。
わたしも大宮くんも、夕方からのシフトに入っているはずだ。
「16時までに戻ればいいんだろ。朝一で出たらいい。どうする?」
強引に行く流れに持っていったくせに、最終的な決断はわたしに委ねられる。
ここで行かないと言ったら、大宮くんは食い下がりはしないと思う。
さっきだって、反論しなかったのはわたしもこれをチャンスだと思ってしまったからだ。
行く、と小さな声で伝えると、大宮くんはすぐに電車やバスの時間を細かく調べてわたしに共有した。
気が付けばいつものバイトが終わる時間と変わらなくて、そのまま家の近くまで送ってもらう。
「7時半に駅。絶対に遅れるなよ」
「うん。……大宮くん、ありがとう。明日、よろしくね」
頭を下げると、大宮くんははいはいと適当に返事をして去っていった。
家に帰ると、お母さんがいつものようにご飯を用意してくれていた。
会話はほとんどなく、食事とお風呂を終えると逃げるように部屋に入った。
明日のことは、お母さんには言えない。
7時に家を出るとしても、お母さんよりは遅いから、見つかることはないはず。
いけないことをしようとしているようで、気分はずんと重い。
不安と、碧汰やおじいちゃんに会える喜びが比率を変えながら押し寄せる。
わたしと同じ高校2年生になった碧汰の姿が想像できない。
会えたら、どんな反応をするだろう。
最後に会ったあの夏のことを、謝るべきかはわからない。
ただ、碧汰を前にしたら言葉は自然と出てくる気がした。
眠りにつくまでの間も、碧汰のことばかり考えていた。
記憶の中の碧汰は、いつも、笑っている。
あの別れで、一度はその笑顔が曇ってしまったことを思うだけで、胸がぎゅうっと苦しくなる。
わたしがいなくなったあとの日々を、碧汰はどんな風に過ごしたのだろう。



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