「虫が入るよ」
お母さんに声をかけられて、窓を網戸にする。
エアコンを切った部屋は、外から呼び込む風だけでは蒸し暑く、サーキュレーターのスイッチを入れた。
「お母さん、聞きたいことがあるんだけど」
「どうしたの?」
「……おばあちゃんたち、今どうしてるか知ってる?」
急にこのことを聞こうと思った理由は、自分でもよくわからない。
ずっと、この話はタブーだと思っていた。
あの夏の翌年、もうわたしにも留守番を任せられるからと、暗にあの町には行かないことを伝えられて以来、意識して口にしないようにしてきた。
案外、緊張感なく口に出せたとほっとしたのもつかの間、お母さんが表情を固くして黙ってしまったことで、空気がずんと重くなる。
沈黙は長く続いて、やっぱりなんでもないと切り出しそうになったとき、ようやくお母さんはこっちを振り向いて言う。
「海琴は会いたい?」
「え……」
「おばあちゃんとおじいちゃんに会いたい?」
まさか、そういう問いかけを返されるとは思わなくて、咄嗟に答えられなかった。
自分の気持ちよりも、返答を間違えたらお母さんを傷付けてしまうかもしれないと思うと、喉元まで出かかった『会いたい』が出てこない。
さっきと立場が変わって、わたしが答えられずにいると、お母さんは棚の引き出しから何かを取り出す。
手に持ったまま、差し出されたのはくしゃりとよれた封筒。
消印は2年前の夏。
お母さん宛のその手紙を裏返すと、差出人はおじいちゃんの名前になっていた。
「これ……なに?」
すでに一度開かれた跡のある封筒から、白無地の便箋を取り出す。
手紙には、凡そ理解のできない内容が綴られていた。
言葉を失うとはこのことで、便箋を持つ手が震える。
「おばあちゃん、2年前に、ね」
お母さんが声を詰まらせながら、手紙に書かれていたのと同じことを口にする。
手の中で、手紙がくしゃりと歪む。
「どうして、教えてくれなかったの」
2年前の夏にこの手紙が届いたことを知らなかったし、お母さんもそんな素振りを見せなかった。
おじいちゃんからの手紙は、訃報を綴ったものだからなのかもしれないけれど、端的で素っ気なくて、冷たく感じる。
お母さんとおばあちゃんたちの関係が、子どもの頃の想像よりもずっと根深く、簡単に立ち入ることのできる問題ではないのだと薄々気付いていた。
だから、ずっと口にせずにいたし、今日まで何も聞かなかった。
でも、今ここで黙っていたら、わたしはまた何も知らないままになってしまう。
意を決して口を開こうとしたとき、お母さんは何かを察してかふいっと視線を逸らして居間を出ていった。
こんな状況になっても逃げるんだ、と仄暗い感情が湧き出て、重い体を自室に引きずる。
布団に倒れ込むと、棚に置いてある写真立てが目につく。
自分だけが写った写真ならもっとあるけれど、お母さんと撮った写真はここに飾っていた。
おばあちゃんが懸念していた、お母さんの帰りが遅いことは、今はもうない。
わたしが中学生のときに体調を崩して、ごく短期間だけれど入院をすることがあり、以降は夜の仕事はしていない。
それすら、わたしが『無理をして働くよりもちゃんと休んでほしい』と説得したからだ。
いつだってわたしを優先にしてくれるお母さんの顔色を伺いがちなことも、それが正しいわけではないことも、ずっとわかっていて、聞きたいことを飲み込んできたわたしのせいでもある。
向き合うとして、上手くいかなくて。
でも、このままでいいわけがない。
だって、おじいちゃんは今あの家にひとりでいるのだと知ってしまったから。
いつか、会いに行こうと思っていた。
中学生になったら、高校生になったら、大人になったら。
何度も先送りにした理由はいくつも並べられるのに、それを胸張っておばあちゃんやおじいちゃんに言えるかといわれたら、きっと口を噤んでしまう。
後悔が降り積もって、そこに横たえた体が沈んでいく。
当たり前はどこにもないのだと、あの夏の碧汰との別れで身をもって知っていたのに。



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