ピアノコンクール地区大会本選の前日。


その日、祝日にも関わらずに天李先生が時間を作ってくれて
母さんと二人、西園寺病院を訪ねた。


診察初日から1ヶ月。



この一月の間で、ボクの指の病気はあの頃よりももっと進行を始めていた。


最初はピアノが演奏しづらくても、
日常生活にはまだ支障がなかった指。


だけどここに来て、少しずつ日常生活もままならないほど
指の筋肉は落ちてきているみたいだった。

かろうじて伸びていた指も今は伸びることはない。

早い運指運動が可能だったこの指も、
今では単音を奏でるの精一杯。

一音一音。
鍵盤をおさえるのにも時間がかかってしまう。

今のボクには昔のようにショパンのメロディを奏でる指はない。

確実におちていく筋力。

……何故……ボクだけが?

辛いのは僕だけじゃない。

わかっていても、行き場のない
この想いが消えることはない。


指だけ低下していた筋力。
今では腕にも力が入らなくなりはじめていた。


ボクの身体なのに、
ボクの意のままに動かない体。


そのどうしようもないイライラが
ボクのストレスとなって襲い掛かる。


急激に動かなくなってしまった指は、
僕を苦しめ続ける。


後一日……、明日一日だけ指が動いて欲しい。
明日はボクの最後の舞台。



その日、病院の救急入口の受付で名前を伝えると、
院内から天李先生が姿を見せた。



「檜野君、お母さんも奥の診察室にどうぞ」


天李先生について、ボクとお母さんは
いつもの様に通いなれた診察室へと入った。


診察室の机には今までの検査データーらしき情報が、
パソコンモニターに映し出されていた。 


「今日は大切なお話をしなければいけません」


そう言って、天李先生が切り出したのは
ボクの体を蝕む病名。

天李先生が告げた病名はALS。

ALS。

日本語名は筋萎縮性側索硬化症。
【きんいしゅくせいそくさくこうかしょう】。


アメリカの方では『ルーゲリック病』として
広く知られていて多くの場合は、四十代以降に
ある日突然発病すると言われている。


突然の発病から身体中の筋力が
徐々に衰えやがては自力呼吸もできなくなる。


病気の進行度も人それぞれで、
現段階ではボクがどのように進行していくのはわからない。


筋肉がおちている時点である程度は覚悟していたけれど、
自分の状態を素直に受け入れることは出来なかった。