「あの……?」

「覚えてないの? あなた、展望室のトイレで貧血を起こして倒れたのよ?」

「あ、はい。それは覚えてますけど、その、ここはどこですか?」

「ああ、ここは、ホテル・ロイヤルの医務室よ。私は常駐医の磯辺薫(いそべかおる)」

トイレの女性・薫さんは、形の良い赤い唇をほころばせた。

彼女の少し大きめの白い耳に付けられた、唇と同じに真っ赤なルビーのピアスが、キラリと輝きを放ち、私の記憶中枢を刺激する。

見覚えのある、唇とルビーの赤。

――あ……。

脳裏に、ついさっき、ホテルのエレベーターで目撃した『濃厚キスシーン』が特大で浮かんだ。

――ま、まさか、この人?

「エレベーター・キス……」

声を出すつもりはなかったのに、思わず口が滑った。

『しまった!』

慌てて両手で口を押さえたけど、後の祭りで。

「あら。しっかり見られてたのね」

薫さんは、そう言って動じる風もなく、クスクスと愉快そうな笑い声を上げた。