結局、とうとう父は帰ってこなかった。

その夜、ふと布団の中で目覚めた俺が見たものは、寝室のとなりの居間のコタツにひっそりと座り、撮りためた数少ない家族写真を見つめながら一人静かに涙する母の姿。

普段は、涙など見せたことがない気丈な母の弱々しいその姿を、俺はたぶん、一生忘れることはないだろう。

そして父は、その日以降一度も家に帰ることはなかった。

母は、帰らない父のことを詳しくは語らず、得意だった料理の腕を活かして小料理屋をはじめた。

今まで家に母親がいることが当たり前だった俺は、10歳にして突然「鍵っ子」になってしまった。

好きなテレビアニメを見ても、ゲームをしても、まだ子供だった俺の心の隙間を埋めてくれることはなく、いつも心のどこかにさみしさを抱えていた。

そんな俺に手を差し伸べてくれたのが、お隣の2階建ての家に住んでいた、運送業を営む篠原家だ。

某はちみつツボを抱えたクマのキャラクターを彷彿とさせる容貌の、どこかのんびりとした雰囲気の父親。

子供好きで、明るい母親。

そして、チョコマカとまるで小動物のように好奇心旺盛な一人娘の茉莉の、総勢三人家族。

もともと、茉莉のおふくろさんと俺の母は親しくしていてよくお互いの家を行き来していたが、母が外で働くようになってからは、ことさら何くれとなく俺の面倒を見てくれた。

それが、茉莉の母親、篠原佳代さんだ。彼女は、いつも陽気に笑っている朗らかな女性だった。

近所の子供を集めては、奇想天外な自作の童話を聞かせて、手作りのおやつをふるまうような子供好きなその人が、俺は大好きで。

彼女の一人娘の茉莉もまた、その明るさと屈託のなさで、俺に安らぎの場所を与えてくれた。