仕事の関係で、たまにしか家に帰ってこない父・彰成(あきなり)は、寡黙(かもく)だがごく普通の父親だったと思う。

父が帰ってきたときの母は、息子の俺から見てもかいがいしく父の世話を焼き、いつも幸せそうに笑っていた。

そんな母が、人知れず涙しているのを見てしまったのは、ちょうどそう10歳の誕生日のとき。

「今日は祐ちゃんのお誕生日だから、お父さん、特別に帰ってくるんだって」

そう言って嬉しそうに、父の好物の料理を作っていた母の元に一本の電話が入ったのは、夕方の五時過ぎだったか。

「……お義父様(とうさま)が、お倒れに?」

しばらく、電話に耳を傾けていた母が、不安げに呟きをもらした。

その当時住んでいたのは、3畳ほどの台所のほかに6畳二間しかない、いわゆる2DKの小さな平屋の賃貸アパート。

居間に置いてあった電話の内容は、家の中のどこにいても筒抜けで、とうぜん居間でテレビアニメを見ていた俺にも聞こえていた。

ただならぬ母の様子に俺は幼いなりに何かよからぬことが起こっていることを察し、不安になって尚も電話に耳を傾ける母の近くにいき、白いエプロンの裾をぎゅっと握りしめた。

そんな俺の頭を優しくなでると母は、受話器を手で押さえて会話が相手に届かないようにすると、「冷蔵庫の中にプリンがあるから、食べていいわよ」とにっこり微笑んだ。

どこか悲しげなその微笑みに、「言うことを聞かないとお母さんが悲しむ」そう感じた俺は、エプロンを握りしめていた手を放すと、おずおずと台所に足を向けた。