両親共、まともな職に
就いたことなどなく、

その日に稼いだお金で、酒を飲み、
パチンコをして大半の時間を過ごす。



そんな環境に産まれたものが、
大学に入ろうなんて、

宇宙飛行士になるほどの
決意と努力が必要だった。


大学に行けるだけの成績を取るのも、
勉強しなさい、と言ってくれる
普通の親と違って、

うちの両親は、
勉強なんかして何になると言って、
私の勉強を邪魔する方が多かった。



それでも、
大学に行こうと思えたのが、

祖父が私のために、
学費を用意しておいてくれたからだ。


祖父には、どれだけ感謝してもしきれない。

祖父は地元の国立大に入って、
教師か市役所に務めて欲しいと願っていた。



その祖父も、
私がインフルエンザにかかって、

国立大の試験を棒に振ったことを
知らないまま、亡くなった。



それに、唯一の理解者である
祖父のいない地元での生活は耐え難く、

私は、地元で生活する意味を失ってしまった。



その前に受けていた、東京の私立大学でも、
奨学金で足りない分を賄えば、
どうにかなりそうだと、
高校の先生も背中を押してくれた。


私は、産まれた土地を離れて、
一刻も早く、外に出たいと思った。