「ヴィル、何処にいくの!! 待ちなさい!!」

「はやく、はやく、しないと、まにあわないの!! エルさまをたすけなくちゃ。ないてる、ないてるの」

「どうしたのよ……エル様?? 誰のことなの? ヴィル?」

「まにあわない!! まにあわない!! やだぁー!!」




 長く続く大国、ボルタージュは今年で八百年の記念年を迎える。
 ボルタージュ国には、二人の王子と一人の王女がいる。
 第一子、王太子ウェルナー・ボルタージュ。
 第二子、王女クラリス・ボルタージュ、今はメルタージュ家に降嫁し、クラリス・メルタージュとなっている。
 第三子、王子ヴィルヘルム・ボルタージュ。彼は奇跡の子供だった………。

 言葉をやっと話し出した時から、ヴィルヘルムの奇行は始まった。突如として泣き始め、ひたすら「助ける」といって走り出す。
 我が子の奇行は手がつけられなく、王であるライアン、王妃メラルはひたすら頭を悩ませていた。
 しかしヴィルヘルムの奇行は幼少時代だけであり、成長するにしたがってヴィルヘルムの奇行は……人々を驚愕させる奇跡の人になってゆく。


 彼が紡ぐ嘘のような本当の話は王家にそして、王国に驚きをもたらした。
 今はボルタージュ国に留まらず隣国に至るまでヴィルヘルムの名前を知らぬものはいなかった。そして、この時代に産まれた全ての女性はその『奇跡の話』に酔いしれる。

 美しさに自信のある令嬢達や容姿に自信がある街娘など、私こそが!! と王宮に押しかける。中には「私にも記憶があるのです」と強気に出る女性も少なくはなかった。

 嘘をつき、王宮に押しかける。それだけを聞くと処罰の対象になりそうだが、これは仕方がないと王宮側も諦めていた。
 女性達の記憶があると思い込んでしまう理由の一つは、小さな頃から当たり前のように読み聞かされている話があり、女に生まれ知らぬ者はいない。と断言できる物語があったからだ。

 三百年前から語り継がれている永遠の恋物語。『白銀の騎士と王女』

 王宮に押しかける理由は、史実を元に書かれたと言われているその物語の所為であった。

 美しい王女とその王女に永遠を誓った彼女だけの騎士の純愛物語は、甘さたっぷり乙女の夢だった。
 王女と騎士は幼い頃に出会い恋に落ち、惹かれ合う。一度は離ればなれになるが、年を重ね。二人は劇的に再会し、もう一度恋に落ち結ばれる。王女が大人になるまでは甘く優しさに満ちていて、大人になれば濃厚なラブシーンが始まる。愛を交わし二人は結婚する。
 いつか私も………と女性達は心をときめかせ、この物語を読んでいた。
 だから、知っていて当然で勘違いをしてしまうのだ……私にも記憶があると………。




「迷惑以外の何ものでもないな。煩わしくて叶わない」

 室内を一気に凍らすヴィルヘルムの硬質な声が響く。

 ヴィルヘルムは賢王と名高い三百年前の王レオン・ボルタージュの容姿にそっくりであり『黄金の王子』と言われ老若男女全ての人を魅了していた。
 腰まである波打つ髪は太陽の様に光り輝く黄金。瞳の色は濃いエメラルド。それに加え、騎士として鍛え上げられ、極限まで絞り込まれた肉体は圧巻。本当に恐ろしいほどの美貌の王子であった。

 神がかった美貌は眩しいくらいに華やかで、そこにいるだけでその場を美しい楽園に変えてしまうヴィルヘルム。だが一度口を開けば一気に極寒に変化させる。
 見た目は華やかだか中身は真逆。よってヴィルヘルムは見た目はコーディン神、中身はツリィバ神と言われていた。
 それはそれで乙女達は日々悶えており、ヴィルヘルム王子はまさに神の子供、と勝手に讃え盛り上がる。
 乙女の愛読書『コーディン神とツリィバ神の愛の行方』が特に好きな乙女達はヴィルヘルムを二人の子供だという。「その神達は二人とも男なのでは??」という世の男性陣の意見をバッサリ切り捨てて盛り上がるのだった。
 そんなヴィルヘルムに〝奇跡の話〟が付くのだ。


「ヴィルヘルム様、まぁ、仕方ないと思いますよ。なんたってボルタージュ国きっての美貌の王子様が、あの白銀の騎士様の生まれ変わりですよ!? 普通に考えてときめかない女性はおりませんよ」

「どの面さげて、エル様だと言うんだ?? そもそも、エル様はそんなに厚かましくない。いつもふわふわで可愛らしく天使みたいな方なんだ」

「……何回聞いても不思議ですが……そんな可愛い人いますか?? だいたい美人は皆、性格悪いですよ??」

「ラメールの偏った考えはどうでもいい。エル様は本当に天使だ。悪女達と一緒にしないでくれ」

「ヴィルヘルム様は見た目とのギャップが激しすぎますね。……というか色々恐いです。俺は貴方に恋をしている女性の方々みたいに奇跡! 素敵! なんて思えません。
 貴方がなさっていることは恐怖以外の何ものでもないです。神がかった美貌の騎士だから、神がかった美貌の王子だから、許されます。これが見るに堪えない醜男だったら怪奇話ですよ。何という執着心。俺は毎度鳥肌が立ちます」

「ラメール。それは一番、私が思うよ……年を重ねる度、私の記憶は戻っていく……。今は全て思い出している。だからこそ、本当にエル様が生まれ変わりこの時代に生きていても、一緒になろうとは思わない。私といて前世の記憶が戻るなんて事があったら堪らない。記憶なんて無くていい」

「エルティーナ様に、会いたくはないんですか?」

「会いたくないわけないだろ。勿論、会いたい。……でも私の妻にとは思わない。幸せに暮らしていたらそれで良い。出来れば好きな男性と結婚していたら、嬉しい。エル様の幸せを見たら、その時やっと私の恋は終われるだろう……」

「ヴィルヘルム様………でも、エルティーナ様の生まれ変わりの方が貴方の事を好きだったら? あの物語は全て本当ではないにしても、事実も多いのでしょう?? 彼女も貴方に恋をしている可能性があるのでは? それでも、一緒にはならない??」

「エル様は私を愛してくれていたかもしれない……でも彼女の最期を思うと、もう王族とは関わって欲しくない。私は恐いんだ……。
 エル様が殺されたのは知っているな?」

「えぇ、勿論。そして前世の貴方が敵討ちのように、関わった全ての人を殺したのも知ってますよ。謁見の間を血の海にしたんですよね」

「エル様は殺された……左腕を切り落とされ、喉をつぶされ、抵抗しなくなるまで抱きつぶされて、最期は首をはねられた」

「……えっ………?? ………なんですかそれ………陵辱…されていたんですか…? …」


 ラメールの震える声にヴィルヘルムは苦笑しながら答える。

「あぁ。一人二人じゃないだろう……そしてそれがエル様にとっては初めてだった……」


 ラメールが息を呑むのを感じながら、ヴィルヘルムは両手で顔を覆う。

「……絶対に思い出して欲しくない。何一つ忘れていて欲しい。
 エル様から返しきれないほどの愛を私は貰った、もう充分なんだ」


 ラメールは、苦しそうなヴィルヘルムを見て心の中で呟く。

 エルティーナ様がもし、この時代に生まれ変わっているなら、俺は会ってみたいな……ヴィルヘルム様ほどの人を縛り付ける女性なんて……きっと本当に天使のような方なんだろうな……。
 どんな美女でも、ヴィルヘルム様の心は動かせない。この美貌で、二十五歳にもなって誰とも付き合った事が無いなんて冗談みたいな話だ。あの物語みたいにハッピーエンドになればいいのに……。


 ふと、目にとまる本。いつもヴィルヘルムの机に置いてある、『白銀の騎士バーナムと王女スピカ』の小説。毎日、何度も読んでいるのだろう。目にするたびに位置が変わる本はあまり話さない彼の心を体現している。

『白銀の騎士と王女』史実を元に書かれているこの話は実名は使っていない。だからこそ、私が生まれ変わりと言ってくる女性達をヴィルヘルムに会わすまでに帰せるのだ。
 もし本当に記憶があるなら分かるはずだ。バーナムとスピカではない、『白銀の騎士と王女』の本当の名前はアレンとエルティーナなのだ。
 そして本当の名前は一部の人間しか知らなかった。

(「今でも変わらず狂おしいほど、エルティーナ様を愛していらっしゃるんだな……難儀な方だ」)