晩餐会の会場を出て、人気のなくなった廊下でエルティーナは一度止まり、キメルダに身体を向ける。そして優雅な王女らしい礼を心を込めてする。

「ありがとうございます。一人で帰るのは少し…恐かったので助かりました」

「いえ…」

 キメルダがエルティーナに返事を返そうと口を開いた時、腰に響く美しく甘い声が二人に割って入ってきた。


「キメルダ副団長、エルティーナ様は私が自室までお送り致しますので、警備に戻って下さい」

 背後から聞こえる美しい声に、身体が痺れて固まる。身体中がまるで心臓になったように脈打つのが感じとれる。
 今まで何度も何度も聞いた美しい声。

(「美しい声が後ろから聞こえるわ……たったひと月なのに何年も聞いてないように感じる。アレンなの? アレンなの?? どうしよう、どうしたらいいのか分からないわ」)

 固まった身体は今度は熱を持ち、熱くて堪らない。後ろを振り向くのが恐くて目の前のキメルダに助けを求めるべく、視線を合わす。
 合わさった視線は包み込む優しさがあり「ほらっ行って」と目が言っており……勇気をもらう。

 ゆっくりと振り向いた先には、見慣れた真っ白い軍服。少し短くなった銀色に輝く髪。彫刻のように整った輪郭にアメジストの瞳。
 恋い焦がれ続けたアレンが、エルティーナの目の前に…いた。

(「あぁ……とても、元気そうだわ……良かった……病気……じゃなくて良かった。
 優しく笑ってる。いつもと一緒よ、まるで昔にもどったみたい。どうしよう嬉しい!! 嬉しいわ!!」)



 こちらを見つめながら固まるエルティーナにアレンは極上の微笑みを浮かべ、手を広げる。

 宦官になったら一番にしたかった事、エルティーナを正面から思いきり抱きしめる。

(「今まで一度もしなかったんだ。ひと月も我慢したんだ、いいだろう」)

 アレンの行動に目を見開くエルティーナ。

(「……アレンは何をしているの? …もしかして、抱きついていいの?? 貴方の胸に飛び込んでいいの??」)

 そう疑問に思いながらも、身体は自然に動く。一生懸命に走っているのに前に進まない感覚。早く早くと焦る気持ちさえも、今からくる幸せを予感させ震えてしまう。


 エルティーナは両手を目一杯広げているアレンの胸に飛び込む。

 アレン独特の甘い香りに包まれて、逞しい腕が身体を緩やかに拘束する。

 二人の思いは十一年前のあの時に戻る。
 初めての恋に落ちた、あの瞬間に…。


 恋人のように抱き合う二人を見て、キメルダは苦笑しかながら気配を消し、音をたてないようにその場を後にする。

 しばらく抱き合っていた二人は、ゆっくりと身体を離す。
 アレンは軽く顎を引きその瞳にエルティーナを写す。
 エルティーナは軽く顎をあげその瞳にアレンを写す。


「…アレン…会いたかったわ」

「私も、エル様に会いたかったです」

 二人はゆっくりと離れ、何もなかったように歩き出す。いつもと同じように、二人の時は流れ出す。


「……心配したんだからね……。ひと月、全く見かけないから」

「申し訳ございません。野暮用で、王宮を離れておりました。用事は終わりましたので、今までと同じように 私は王宮におります」

「まぁ!! そうなのね!! またアレンを見かける事もあるのね!! 嬉しいわ!! …見かけたら、声をかけてもいいかしら?」

「勿論です。先ほどみたいに是非、抱きついてください。前々からレオンには抱きついて、何故、私には抱きついて下さらないのか不満でしたので」

「えぇーー!! いいの!? 抱きついていいの!?」

「勿論。なんだったら、また抱き上げて自室までお送り致しましょうか?」

 甘さたっぷりの言葉にくらくらしながら、エルティーナはそこは断った。

「ねえ、アレン。さっきから気になっていたんだけど、その手に持ってる包み紙の袋は何?」

「あっこれは、どうぞ。エル様の好きなミダのチョコレートです」

 アレンから渡された茶色い包み紙の袋の中は、一つ一つが綺麗に包装されたチョコレートだった。

「うそぉ………わぁ…………」

 感動しながら袋の中身を覗き込むエルティーナの耳に、今一番聞きたくない声が空気を壊しながら聞こえてくる。


「あらぁ!! アレン様ぁ!! お探ししておりました!! 皆さん、アレン様よ!!」

「「キャーキャーお久しぶりです!」」
「「いゃーーん! アレン様!!」」

 カターナ王女とその取り巻きだった。
 エルティーナが持っている袋の中身を覗き込み、可愛らしい声でアレンに礼を言う。


「まぁ!! アレン様、これはミダのチョコレートではないですか? 私が以前食べてみたいとお話ししていたから、用意してくださったのですか? 私は感激ですわ、皆様も一緒にどうですか??」

 エルティーナはカターナの言葉に、あつかましく全部貰おうとしていた自分がとても恥ずかしく真っ赤になる。
 カターナが袋を取ろうとした瞬間、エルティーナは急いで一つだけチョコレートを取った。カターナの嫌そうな顔も、全然気にならない。

(「ふん。貴女に頼まれて買ってきたのかもしれないけど、早い者勝ちよ!!」)

 エルティーナは勝ち誇った気持ちでいっぱいだった。
 アレンと抱き合い「会いたかった」と言ってもらえた。お兄様みたいに見かけたら抱きついていいと了承を得た。
 気分はハイで、今のエルティーナに嫌味は全く効かなかった。

 カターナから奪い取ったチョコレートを持ってその場を離れようと、一歩下がると身体の重量がなくなる。「えっ!?」と思った時にはエルティーナはアレンの腕の中。

 思考が動くころには、ハイエナのような令嬢達がチョコレートを奪いあっている姿が遠くに見える。
 状況を理解し驚く。なんと、アレンはエルティーナを抱き上げ走っている。
 速い!!
 あっという間にカターナ王女とハイエナ令嬢達を撒き、入り組んだ王宮の迷路を進み。王族専用の自室がある宮殿までいっきに走りきった。

 エルティーナの自室がある塔まできて、はじめて速度をゆるめ歩き出す。
 エルティーナを抱き上げながら走ったのに、全く息がきれていないアレンに驚く。

「いきなり走り出すから驚いたわ。でも楽しかった!! アレンは凄いわね!! 私を抱っこしているのに走れるなんて!! 感動よ!!」

「煩い声をあれ以上聞きたくなかったので。何も伝えずに行動して、申し訳ございません」

「謝る必要はないわ!! 楽しかったもの!! でも……煩いって。アレンは嫌いなの??」

「勿論、嫌いです。騒がしいのも、我が物顔で話に入ってくるのも」

「そうなんだ。私は…アレンはカターナ王女みたいな方が好みだと思っていたわ。スレンダー美人?? みたいな方??」

 自室の前で、エルティーナをゆっくりと下ろす。部屋から出てきていたナシルや侍女達が、アレンを見て驚いている。それを視界の端に入れながらエルティーナは、アレンを見上げる。


「私の好きなタイプは、エル様です。今までエル様以上に好みだと思った女性はおりません」

 爽やかに爆弾発言を放ち、真っ赤になるエルティーナの頬に口付けを落とす。

「おやすみなさいませ、エル様」

 爽やかに微笑んで、来た道を戻っていくアレンをエルティーナは呆然と見ていた。



「大丈夫ですか!? エルティーナ様」
「どういうことですか!! エルティーナ様」
 と皆の声を遠くに聞きながら、エルティーナは魂が抜けていた。



 アレンにとって、これが最後だった。

 次に会う時は、エルティーナの変わり果てた姿だったからだ。