政務室のドアはあまり華美ではなく、どちらかというと頑丈。内鍵は全部で五つあり、籠城向きの部屋となっていた。

 クインは軽くノックをし「失礼致します」と中に入る。


 王の執務室には、先客がいて陛下と話している最中であった。

 部屋の中には五人。一人はもちろん陛下。そしてレオン、キャット。穏やかな老獪のマドック・セルダン公爵、小さい身体に沢山の宝石を付けたルーメン・マイスリン男爵だった。

 部屋の中は、息が苦しくなるくらいの強烈な香水の香りが充満していた。その匂いの中心にいるのが、ルーメン・マイスリン男爵だ。



「………失礼致しました、歓談中とは知らず、出直して参りましょうか。陛下」

「嫌。話は終わった。ルーメン男爵退出してくれ」

 国王であるダルタは、ルーメン男爵に退出を促す。


「陛下、お待ちください。とてもタイミングの良い所にアレン様がいらっしゃった。これは運命です!! ここは是非、少しばかりお話をさせて頂きたく思います」

 ルーメンは異臭を放ちながら国王ダルタに擦り寄る。距離が近くなる度に物凄く嫌そうな顔を隠しもしないダルタは「分かった」と言って、アレンの方を見た。

 国王ダルタの瞳には、アレンに対し「お前が何でいる!? 」と無言の圧が飛んでくる。

 キャットは、溜め息をつき。レオンは無表情だが、かなり頭にきているのが見てとれる。マドック公爵は国王よりひどい態度をとっていて、すでに誤魔化すこともせず鼻を手で押さえていた……。

 国王に赦しをもらえたルーメンは、アレンにぺこぺこしながら、近づいてくる。その姿は不快しかない。


「これは、これは、メルタージュ宰相、アレン様。私、ルーメン・マイスリンと申します。それにしても、神がかった美貌とはよくいいます。アレン様は本当に美しくいらっしゃる。ボルタージュ国の至宝でございますね」


(「やめてくれ。さっきまでエル様に癒され、彼女の香りに包まれ心穏やかになっていたのに。臭い近寄るな」)

 アレンは猫なで声で話すルーメン男爵に褒められても嬉しくない。むしろ上から下まで舐めるように見てくる様子が、気持ち悪くて吐き気がしていた。

 何の返事をしないアレンにもクインにもなんのその、ルーメン男爵は空気も読まず話し始める。


「先ほど、陛下に進言しておりまして。我がマイスリン家の娘。スノーとリフリのどちらかを、是非アレン様の妻にと。
 年齢も上が十七と下は十五となります、若くみずみずしいです。いかがでしょうか??
 社交界でも我が家の娘は二人とも有名で、申し込みが後をたちません。しかしお恥ずかしながら、二人ともアレン様を慕っておりまして、沢山の申し込みになかなか首を縦に振りません。
 どちらかを選べない時は、二人とも妻に臨んで頂いてもかまいません。
 美しい容姿に、きっちり閨房学も学ばせております!! きっとアレン様にもご満足頂けると思います。
 一度、お食事でもいかがでしょうか? 精一杯もてなしをさせて頂きます」

 素晴らしい話を持ってきましたという笑顔で、アレンの神経を逆撫でする言動を次々とはなつマイスリン男爵。

 部屋の中には冷気が漂っているのにまるで気づかない男爵は、アレンの言葉を聞くべく手を擦り合わせながら見上げてくる。


「……マイスリン男爵。私に結婚の意思はない。生涯するつもりもない。わざわざ結婚に縛られなくとも、女には不自由していない。申し出はお断り致します」

 アレンの言葉を理解できないマイスリン男爵は、まだ問いただす。

「何故ですか??
 持参金はいくらでもお出し致します。遊びの女性と我が家の娘とは趣向が違います。何も知らない娘を開拓していくのは、きっと快感かと存じます。すぐに結論を出していただかなくとも結構ですので、一度ゆっくり考えてくださいませ。
 また後日返事を頂きにまいります。それでは、陛下、レオン殿下、失礼致します」

 マイスリン男爵は言いたい事をいい、晴れ晴れした顔で政務室を出て行った。



 ドアが閉まり、部屋には静寂が戻る。

 キャットが先ず動き、部屋中の窓を開け空気を変える。
 ゴブラン織りのカーテンが動き、窓から心地よい若葉の香りのする風が入ってきたのを確認し、マドック公爵ははじめて手で押さえていた鼻を空気にふれさせた。

「不快な話を二度も聞くとは思わなかった」

 吐き捨てるようにいい、レオンが舌打ちをする。

「本当だ。またいい具合にお前達が入ってくるから、たまらない。何時まであの匂いに耐えないといけないのか。不快でしかたなかったぞ」

 国王ダルタは机に肘をつき交差した手の上に顔を乗せ下を向く。

「陛下…申し訳ございません」
 アレンの言葉にダルタは顔を上げる。

「いや。…まぁ一番不快だったのはアレンだからな。こちらで勝手に断っておくつもりであったが、タイミングが悪かった」

「本当に気分が悪い経験だったよ」

「何を言う。マドック! お前はずっと鼻を押さえていただろ!? あの強烈な匂いをかいでないはずだ。国王の私が我慢しているのに堂々と鼻をつまみよって、呆れるわ」

「ダルタ、年寄りは大切にするものだよ。あぁアレン、話が終わったらお前と一緒に私もエルティーナに会いに行くからよろしく。臭くて汚いものの後はやはり癒しが必要だ。たっぷりエルティーナを堪能してから帰るよ」

「マドック。我が娘を使うな。目の保養ならレオンとアレンで十分だ」

「ダルタよ。レオン殿下とアレンは確かに目の保養だが、男に興味はない。エルティーナの可愛い声と態度。そしてあの抜群の曲線美を見に行くのだよ」

 まるで美術鑑賞でもしに行くような軽い感じで、エルティーナの身体のラインをダルタの前で空中に描いてみせた。その態度にレオンがキレる。

「マドック公爵、エルに会うのは却下だ」

「レオン殿下、王となられるお方が心が狭いのはどうかと思いますが?」

 キレたのは、レオンだけではなくアレンもだった。

「私も承知致しかねます。マドック公爵」

 レオンに続き、アレンも冗談じゃなくかなり静かに怒っていた。



 クインは皆の言い分がバラバラでまとまらないことに溜め息を吐き、発言した。

「……話が進みませんので、エルティーナ様の件は後で。
 隣国バスメールの事について。先日、アレンからの情報にあったボルタージュの貴族潰し。やはりバスメールの王族が中心となって行っていると裏が取れています。
 理由は、財政難からです。
 事故や病に仕立て上げられ潰されたのは、子爵家二つ 男爵家二つ 伯爵家一つ、そして潰しきれなかった伯爵家が一つ。
 潰しきれなかった伯爵家はフリゲルン伯爵家です。五年前の不慮の事故が怪しい所です。本当は一家全てを葬り去る予定が後継ぎのレイモンドは死ななかった。そして、今は手を出せないくらいまでになった。フリゲルン伯爵が何処まで知っているのかは、分かりませんが、全く知らないともいえないかと思います。
 彼が知っていても知らなくても、こちらの敵に回ることは先ず無いと判断致します。しかしエルティーナ様が嫁ぐまではハッキリさせておく方が今後の為かと」

「分かった。マドックは潰された子爵家、男爵家、伯爵家の調査にあたって貰う。
 キャットは潰された家の人を主に探ってくれ。まだ生きているものがいるかもしれないからな。
 クインは引き続きバスメールの調査をしてもらう」


「了解した」「「かしこまりました」」

 マドック公爵、キャット、クインはそれぞれに返事をした。
 皆の返事に頷いたダルタは、アレンに目を向ける。

「アレン。さっきのマイスリン男爵からもだが、実はバスメール国のカターナ姫からもお前との結婚を希望する書状が届いていた。それはこちらで断っておいた。
…レオンがその場で書状を切り刻んでいたからな……」

「当たり前だ、舞踏会で俺にも擦り寄ってきてたからな。踊りながらねっとり股間を触ってくる毒婦が毎日毎回アレンの周りにいるだけでも虫唾が走る。
 だいたい毒婦のくせに、エルを悪く言う事が問題外だ」

「ありがとう。レオン」

 ふっと表情が和らいだアレンに、レオンは照れくさくなり視線を外す。

「……いや…お前には、エルまでとは言わないまでも、心が清らかな人が合うと思うからな」

 アレンとレオン、二人の和やかな雰囲気に一旦心地よい空気になったのを、マドック公爵がぶち破る。