グラハの間。昨日の晩餐会の名残は全くなく、花の模様が彫り込まれた美しいデザインのテーブル、対になる椅子がどっしりと鎮座していた。

 基本グラハの間は王族しか使わない。そして朝の時分この間を使うのは、国王夫妻、王太子夫妻とその子供たち、グリケット、エルティーナ、の八人である。

 八人全員が一同に食事はとらない。まだ幼い子供達は自室が多く、大人達になると起床時間がバラバラな為、朝の食事時間が決まっていない。食べたい時に食べる、食べないという選択肢でも可能なのである。

 朝の食事時間は比較的短い為、王族八人の食事時間が重なる事はあまりない。
 この日は普段の朝食時間からはだいぶ押していた為、グラハの間には誰もいないと思っていたが、優雅に椅子に座りコーヒーを飲むレオンが居た。

 エルティーナ達を視界に入れてなお、コーヒーを吹き出さなかったレオンは自分を本気で偉いと思った。
 レオンの目の前には、かつてないほどの不思議な光景が広がっていた。



 時間は少し遡る。レオンが優雅にコーヒーを飲んでいるとグラハの間の扉が開く。この時間にまだ食事をしていない者がいたのに驚き開く扉に目を向ける。
 入ってきたのは四人。
 何故か、グリケットがラズラを抱き上げていて、アレンがエルティーナを抱き上げいる。

「また、何故???」

 百歩譲って、エルティーナがアレンに抱き上げられているのは分かる。ここ最近見慣れてきた光景だからだ。しかし、何故叔父のグリケットまでが、同じようにラズラを抱き上げいるのか???
 それも当然不思議だったが、驚愕した要因は、皆の表情が個性的で全員が見たことない表情をしていたからだ。

 表情はいつも同じで、好々爺とし何事にも動じないグリケットが、意気消沈で打ちのめされた暗さで、彼の周囲には暗雲が漂っていて。
 その腕に抱かれているラズラは、ニマニマしながら、グリケットに甘えるように頭を肩に置いている。口もとがずっとニマニマと動いている…正直気持ち悪い。

 アレンにまたも抱き上げられているエルティーナは、魂が抜けているのに顔が赤く……そして目がすわっている……。顔色と表情が合ってない本当によく分からない顔。

 そして一番強烈なのは、アレンだった。

 レオンの給仕をしていた、何人かの侍女が背後で倒れる音が聞こえる。扉を開けた侍女も腰が抜けたのか座り込んでしまっている。レオンの横でコーヒーを持っていた若い侍従もコーヒーを床にこぼす。その隣にいた侍従は失神している。
 なかなかの惨状は、全てアレンを見たもの達の末路であった……。

 現在、アレンの状態は………。

 美しいアメジストの瞳は優しく細められていて、一流の職人に磨き上げられた宝石のごとくきらびやかに輝いている。いつもはあまり表情がない唇は緩やかなカーブをえがき、妖艶に微笑んでいる。
 その唇がふいに動いて……。開かれた美しい形の唇から、生々しい男の色気がたっぷり含まれた息がゆっくりと吐かれていく。
 アレンの硬質な感じが、まるで無く……見ているだけで昇天しそうな…大天使の雰囲気をまとっている……。


「何があったんだ!? おい!?」レオンは脳内で最大に突っ込む。


 皆が呆然としていても、アレンは我関せず。
 いつもより、なぜか密着して抱き上げていたエルティーナを椅子にゆっくりと時間をかけて壊れ物のように、大切に、全ての神経を使い椅子におろしている。

「…エルティーナ様、お食事が終わるまで…外で待機して…おります。…ゆっくり…お召し上がりくださいませ」

 最後に恐ろしく甘い声でとどめを刺す。

 後からグラハの間に入ってきた侍女や侍従はアレンの声に皆、腰を抜かす。アレンはエルティーナだけに声をかけ、ゆっくりとグラハの間を出て行った……。



「…おい…エル……あれはなんだ!? 俺は、まだ夢を見ているのか?? 」

 夢という言葉に覚醒し、現実に戻ってきたエルティーナは、涙目で隣に座るレオンを見る。

「……お兄…様…。…私…身体に、力が…はいらないの……アレンをとめて……このままでは…私…心臓が止まっちゃうわぁ…… 」

 エルティーナは情けない声を出す。

「凄いわね…これ程とは…。笑いごとで済ませなくレベルだわ……。前言撤回。アレン様の味方は今日この場で辞めます」

 ラズラの顔は引きつっている。何か知っていそうなラズラに顔を向けたレオンは、真剣に答えを求める。

「ラズラ様、何かご存知なんですか?」

「お兄様! な、なんでもありません!!」

「エルには、聞いてない」

「嫌!! 聞かないで、お願い! 嫌よ、お願い!!」

 本当に涙を流しながら懇願するエルティーナに驚き、可哀想になりレオンは黙る。それから何事もなく朝食が開始された。

 レオンはなんとも言えない気持ちのまま、グラハの間を退出する。グラハの間を出た先には、壁に背を預けて立っているアレンがいた。


「アレン。何があったんだ。グラハの間が凄い惨状になっているぞ。……お前のまとう雰囲気は神経にくるから止めろ 」

「……悪かった。だから外に出てきた 」

「アレン……悪く思ってないだろ。まだ甘ったるい雰囲気が出まくってるぞ 」

「…………悪い ……抑えているつもりなんだが……気持ちが高揚して…… 」

「はぁ?? ………アレン…少し身体を動かすか?? 今のお前は最早 公害だ。クールダウンする必要があるぞ。
 エルの…今からの予定は、確か帝王学の授業の日だろ。教えるのはグリケット叔父上だ。グラハの間でやってもらおう。移動がなければ、お前がエルの側にいなくても大丈夫だからな」

「……分かった。レオン、すまないが少し相手をしてくれ」

「了解だ。ただし、夜は俺の溜まった仕事を手伝えよ」

「…ああ」

 レオンはもう一度、グラハの間に戻りグリケットとエルティーナに話を通し、二人に了承を得る。
 グリケットは「そうした方がいいな」とどこか虚ろだ。エルティーナは少し寂しそうにしながら「はい… 」という。

 先ほど泣いたからだろう、大きなブラウンの瞳を縁どる淡い金色の睫毛がまだ濡れていて、何故か無性に抱きしめ頬擦りしたくなる。
「エルは、本当に可愛いな 」レオンはくすっ と笑う。

 レオンにとって、エルティーナはいくら大きくなっても可愛い小さな妹なのだ。そんな違和感いっぱいの面々を残し、レオンはグラハの間を出る。


「アレン、待たせたな。じゃあ、騎士演習場に行くとするか。俺も久しぶりだから、少し楽しみだ。騎士演習場に行ったと話したら、エリザベスが羨ましがるだろうな」

「そうだな…」