「ナシルはどうしたのかしら? 遅いわね?」

「エル様、今のドレスでも綺麗ですよ。十分可愛らしいですし。ただ…髪の毛は少し直した方がいいかと」

「え〜 そんなに髪の毛、変かしら」

 エルティーナは、頭を押さえて「いやぁ〜」と可愛らしく叫んでいる。ベンチに寝転んで熟睡していたのだから、髪型がくずれているのは仕方ない。だが乙女として恋した人に見目を指摘されたくなかった。

 頭を抱えて百面相するエルティーナをアレンは優しく笑う。


「アレン! 笑わないで! 怒るわよ!!」

「怒らないでください。私で宜しければ、直しましょうか?」

「え、えっーーーー!?」

「お嫌でしたら、はっきり言って下さい。一度嫌だと言われた事は二度と致しません」


 アレンのその言い方に、何故か永遠を感じてしまい疑問に思う。「二度としない」と言われれば、まるで次があるかのよう。今からずっと一緒にいるみたいな言い方だ…。
 アレンと一緒にいれるのは、後たった六か月だけ……。でもエルティーナにとっては素敵な言い方だった。終わるはずの二人の関係がまだこれからも続くみたいではないか。

 アレンの素敵な申し出は、エルティーナの心に温かく染み渡る。


「嫌なわけないわ! アレンは本当に何でも出来るのね。アレンに出来ない事はないのではないかしら?」

「まさか…出来ない事の方が…多いですよ。エル様、では髪を直しますね。鏡の前に移動しましょうか」

 アレンが手を出してくる。エルティーナは思わず、革グローブにおおわれているアレンの手を凝視してしまう。

 分かる、分かるのだ。どうするかは。でも初めてだから、エルティーナの思うのとアレンが求めいる行動が合致するか不安で仕方ない。

(「触っていいの?
 手をのせてもいいの?
 貴方に触れてもいいの?
 嫌がらない?
 嫌いにならない?」)

 しばらく凝視してから、ゆっくり手をのせる。革グローブの少し冷んやりした感触が伝わってくる。
 指は長く…手のひらも…大きい。緩く握ると今度は厚さが分かる。エルティーナと違う…なんて大きな手だと気づく。

(「長く一緒にいるのに、まだ発見があるのね。凄いわ。素敵……」)



「アレンは、手が大きいのね」

「エル様が小さくいらっしゃるんです。私は普通です」

「小さくないわよっ。分からないけど……今度ナシル達の手を見せて貰うわ!! 誰が一番大きいかしら!!」

 二人は楽しく笑いながら鏡の前に移動する。まるで執事のようにアレンは椅子を軽く引きエルティーナに座るよう促してくれる。普通ではあり得ない不思議な感覚にエルティーナが酔っていると、鏡ごしにアレンと目が合う。それが恥ずかしく、照れ笑いで誤魔化した。

「では。エル様、はじめますね」

「はい。お願いします!」

 アレンはテーブルに櫛と髪留めを置く。そして騎士用である革グローブを外した。

 エルティーナは、鏡越しに見えたアレンの行動に驚く。
 騎士の制服を寸分の狂いもなく完璧に着こなしているアレンは、騎士のグローブを滅多に外さない。
 それは騎士として、常に帯刀している剣をいつ如何なる時も振るえるようにしているから。だから兄のレオンも、ほぼ革グローブは外さない。それを知っているエルティーナは「いいのかしら?」と気になる。


「アレン。グローブ外していいの? 別に付けたままでもいいのよ。気にしないで」

「外します。エル様の髪は柔らかいので、グローブをしたままだと切れてしまうかもしれませんし、流石に編み込みをするのには邪魔ですから」

「えっえぇぇぇーー!? 編み込みをしてくれるの? えっ、でも編み込みなんて、アレンできるの? 嘘でしょう!?!?」

「くすっ、 できます。凝ったものは無理ですが…ある程度は大丈夫ですよ。私自身、髪が長いので」

 アレンはそう言って自身の髪を掴み、上にあげて見せた。エルティーナのすぐ横に綺麗な銀色の髪が見える。


「ねぇ、アレン。アレンの願いってまだ叶ってないの? 私に出来る事があるなら言って!!」

「……エル様……?」

「私、知ってるの。騎士に伝わる儀式を。お兄様やお義姉様に聞いた事があって。
 色んな制約を自分に課して願を掛ける…そして願い叶うその時まで、髪を伸ばし続けるって。
 騎士である貴方が何故、髪を伸ばしているか……願掛け…よね?
 もし、私に出来る事があるなら…無い…だろうけど……もし……」

 エルティーナの声はどんどん小さくなる。なんか調子に乗って、また大それた事を言ったなぁ…と落ち込んでいると。

「エル様…。私の願いは、ほぼ叶っております。もう切ってしまってもいいのですよ。でもエル様が綺麗な髪だと褒めて下さるのでそのままにしております」

「そ、そうなの……」

「はい。そうです」


 甘ったるいアレンの言葉に、エルティーナはまたも酔いがまわる。
 アレンの言葉の上手さに参ってしまう。エルティーナが言ったからといって、そんなはずはない。皆がアレンを『歩く宝石』と言っているとアレン自身知っている筈。それで恋人達が「切らないで」と言ってるから切ってないだけだろう。
 普通に考えて分かる事だ。頭がお花畑のエルティーナにだって嘘だと分かる。

 でもこれがアレンだ。とても優しいのだ。女性に対して常に紳士で、相手が喜ぶだろうことを口にしているだけ。
 分かってはいる、例え分かっていてもだ、この優しい嘘に毎度心臓を打ち抜かれてしまう。
 どうしてもエルティーナが特別かな?と…馬鹿みたいに勘違いをしてしまいそうなのだ。

(「アレンが女の人に人気があるのが分かるわ…。例え、その場の言葉遊びでも、嬉しいし楽しいもの……。
 胸がぎゅーってなるわ。本当にアレンは罪つくりよね……。ふふふ。でも、そんな優しいアレンが私は大好きよ」)

 アレンの大きいな手がエルティーナの髪を梳いていく…。

(「うぉ、気持ちいわぁ〜 何!? 何!? 気持ちいわ!!!」)

 あまりの心地よさに、エルティーナは瞳を閉じる。髪に優しく櫛が通る。髪の毛に神経は通っていないはずだが気持ちいい。

(「アレンの手が頭に添えられいるのが分かるわ、はぁぁぁ………。
 頭部に指が触れて……少し髪が持ち上がってるわ、あっ編み込まれている……。うふふふぅ」)

 優しい指が頭にゆっくり触れゆく。
 髪が少し持ち上がりそして優しく触れる。
 心地よいリズムで繰り返される。
 髪が少し持ち上がりそして優しく触れる。

 エルティーナは、瞳を閉じてそれを堪能した……。


 エルティーナの髪の柔らかさは、彼女自身と同じ……。櫛を入れ、髪を梳く。ゆっくりと丁寧に。アレンの骨張った指の間をエルティーナの柔らかな髪が滑り落ちていく…。

(「エル様の頭は小さいな」)

 自身の手を添えてみる…。

(「本当に小さい…そして柔らかい」)

 櫛で梳かしながら、指を一緒に入れてみる…。髪は手を撫でながら、はらはらと落ちていく。それをしばらく堪能し梳き終える。

 編み込む為に頭部の髪を少し持ち上げる。痛くはないか心配になり、鏡を見る。

 鏡の中のエルティーナは瞳を閉じていて、癖なのか? けぶるような金色の睫毛が震えていて、小さな唇が緩やかに上がっている。

(「あぁ…このまま口付けがしたいな……。
 軽くふれるだけでいい。もう一度、合わせてみたい…」)

 優しく丁寧に編み込みながら、アレンは一つずつエルティーナとの口付けを想像する…。

 閉じられているエルティーナの瞳を、
 林檎のように色づく赤い頬を、
 そして…薔薇色の柔らかくしっとりとした唇を、たっぷりと…妄想の中で味わっていく。



「……エル様…出来上がりました。いかがですか?」

 アレンの言葉でエルティーナは、ゆっくりと瞳を開ける。

「わぁぁ……ぁ…素敵……綺麗。……どうやって編み込んでいるか分からないわ? お母様がつけていらっしゃるティアラみたいよ。
 これ、私の髪よね? …信じられない。……アレンは本当に器用ね。メーラルには言えないわ……凄すぎて……」

「気に入って下さり、光栄です」アレンは、騎士らしく胸に手を当て腰を折る。

 アレンの美しい所作にうっとりしながら、エルティーナは自分で椅子から立ち上がる。

 いきなり立ち上がったエルティーナにアレンは驚く。そんなアレンを見て、エルティーナは満面の笑みを浮かべ見上げた。


「アレン、ありがとう!!」

 エルティーナはそう言って。軽くドレスを持ち、アレンの前でフワッと一回転してみせた。

 シルクの華やかに光るドレスが、先ほどまで己の手の中にあった柔らかな金色の髪が、空気にふれて艶やか舞い上がる……。


「どういたしまして」

 アレンは軽やかに回るエルティーナを、瞳に焼きつけた。