「……ルドック、大丈夫か……?」

「……大…丈夫に…見…え…ます…か…?」

「…見えんな… タイミングが悪いというか。なんというか。エルティーナ様の事に関して、アレン様には一切冗談が通じない。お前が悪い」

「……実…際に……し…た…わけ…でも…なし、妄…想……だけで…ここ…まで…される……なんて……。悪……魔……だ…」

「その状態で、悪態がつけるお前は凄い。感心する」

「……悪……魔……だ……」

 もう、口しか動かせないルドックは、まだ悪態をついている…。なかなかの根性である。

「…ルドック。お前には妄想が楽しいのかもしれないが、それはあり得ないから面白いんだろ。アレン様は妄想もない。
 エルティーナ様は近々御結婚される。相手はアレン様じゃない、フリゲルン伯爵家に降嫁が決まった」

 目の前に倒れているルドック、近くに座りこんでいるホムールが同時に息を呑む。何を馬鹿な事を という顔だ。

「詳しくは…俺も知らん。だが…もうすでに決定事項だ。もう一つ、アレン様の肩をもつわけじゃないが、お前達が思うような男女の関係はアレン様とエルティーナ様には一切ない。本当にただ…側にいるだけだ」

「…お…か…しい…だろ…。なんで…伯爵家…に…降嫁…なん…だ…よ。アレン…様…のが身分も…上…だし、財産…だって…はるかに…上…な…はず。なん…で…だよ…」

「俺も、不思議でならないよ。アレン様とエルティーナ様がどうして夫婦とならないのか。運命の相手で、魂の半身で、でも…結ばれない。
 ルドック…先ほどの答えだが。運命の相手がいるかどうか。答えはいると思う…。
 でも、俺はそんな運命の相手には会いたくない。お前は何処まで耐えられる? 己の魂の半身が自分ではない男のものになるのを見続ける事に」

「………」

 苦しげに声を絞り出すパトリックに、ルドックは目線を外す。しかしホムールは、正直に感想を伝える。

「パトリック様、私も会いたくないです。運命の相手には」

 淡々と話すホムールも、異常なパトリックの報告に気持ちの整理がつかないでいるみたいだった。

「…少しくらいは、八つ当たりも入っていらっしゃると思う。アレン様のストレス発散に役立ったんだ、なかなかだぞ。ルドック!!!」

「……褒め……ら…れて……も…嬉しく…ない…で……す」

 誰一人として、立っている者が皆無な演習場を見渡し、深い溜め息をパトリックはついた。


 アレンの身分だと、当然のように屋敷と納める土地がある。しかしエルティーナの騎士となってからは、一度も屋敷に帰っていない。屋敷は執事長が全てを切り盛りしており、アレンは書類に目を通すだけとなっていた。

 エルティーナの側に出来るだけ長くいたいという理由で、今だに王宮騎士専用の部屋を使っていたのだ。

 アレンの部屋は本当に殺風景である。宝飾品、美術品の一つもなく壁も無地で無色、なんとソファーさえもない。部屋は寝るだけの為に存在するのだ。
 アレンに趣味などはないが、唯一時間をかけるのが入浴である。

 簡素な部屋に入り、ベッドに脱いだ上着をおく。汗をかくと自身の甘い匂いがきつくなり、その不快感から眉間にシワがきざまれる。

「匂うな… 薬を止めるわけにもいかないし…。エル様が嫌がらなければいいが……」

 自らが発した言葉に自笑しながら、シャワー室に向かう。

 男性に対して拒否反応が多いエルティーナの為に、アレンは日に三度はシャワーを浴びている。
 生々しい男の部分を絶対にエルティーナに見せない様、徹底しているのだ。

 見目以上に、匂いは生理的に受け付けないと言われる一番の要因だからだ。
 アレンはエルティーナに会う前は必ず身体を水で流し、衣服も新しく着替え清潔にしている。

 匂いに敏感な彼女エルティーナが私アレンを嫌がらないように。細心の注意をはらう。
 アレンにとってエルティーナの拒絶は、生きる意味をなくすことに匹敵するからだ。


「…エル様が嫁ぐまで…後…六カ月。…手術はひと月か。長く会えないのは…堪えるな…」

 シャワーを浴びながら、これからの事を思い憂鬱になる。
 去勢手術が二、三日で終わるとは思っていなかったが、ひと月もかかると考えていなかったのだ。長く会えない日々を思い、寂しさは募るばかりだった。


 その頃エルティーナは。

「いやあぁぁぁぁぁ! 虫が!! 蜘蛛が!! なんでこんなに汚いの〜!!ぎやぁぁぁぁ。
 ……隠し通路は王族しか知らないから、当たり前……だけど……汚い!!! くぅ〜我慢〜。もうちょっと、もうちょっと」

 エルティーナは虫や蜘蛛に怯えながら、そして叫びながら、隠し通路を歩いていく。ほぼ人一人が通れるくらいの狭い道である。ランタンを持たなければ一筋の光も入らない本当の闇の中だった。

 この暗さと怖さがまた冒険みたいで、エルティーナはワクワクする気持ちを抑えられなかった。

 出る場所は庭園。舞踏会があった大庭園ではなく、その反対側に位置する。小さい東屋がある可愛らしい庭園。筋骨隆々とした天使や神の像は無く。置かれている像はすべてが森の小動物なのだ。

 昔から人間をかたどった像があまり好きになれず、エルティーナはこの森の中のような動物の像がある庭園が大好きだった。
 もともと、大好きだった場所。

 十二歳になったエルティーナが、庭園で遊んでいた時。…奇跡は…おきた。

 もう二度と会えないと思っていた幼いエルティーナの思い出の天使…。そうなのだ、思い出の天使…アレンとの再会を果たした場所。
 この日からエルティーナの大好きな場所が、掛け替えのない大切な運命の出会いの場になったのだ。

「今、思い出しても顔が緩むわ。お兄様にアレンを紹介してもらった時、私は魔法にかかったと思った…。思い出の…天使の…男の子……」



 大好きな兄レオンと共に連れ立って歩いてくる 美しい人。その人はエルティーナの記憶にある人だった。
 銀色の髪、アメジストの瞳、白皙の肌、美術彫刻のような綺麗な顔、間違えなく思い出の男の子だ。
 ただ思い出の男の子は、もう男の人になっていて…エルティーナの大好きな物語にでてくる王子様みたいで、強い化け物を退治する騎士みたいで、そしてこの国に伝わる……神様みたいになっていた。



「エル。十二歳の誕生日を迎えるその時からお前の護衛騎士となる、アレン・メルタージュだ」

「エルティーナ様、はじめまして。どうぞアレンとお呼びくださいませ」

 柔らかい物腰に、包み込むような優しい声。未だかつてこんな声でエルティーナを呼ぶ人はいなかった。

「アレン… はい……こちらこそ、よろしくお願いします」

 「はじめまして」ではない。違う。エルティーナが思い出の天使を間違えるわけがない! 四年前…会っている、会っているのだ。
 誰にも言えない秘密の出会い。エルティーナは恋焦がれ、何度も何度も天使を夢にみていた。しかし思い出の天使は…エルティーナを覚えてない…。物語の王子様のように迎えに…来た…わけではない。
 あの時…あの瞬間…恋に落ちたと思ったのは……エルティーナ…だけ…だったのだ。


「エル。アレンは優秀だ。エルの我が儘でアレンに愛想を尽かれないように、せいぜい王女らしく振る舞え」

「……はい、気をつけます…」

「エルティーナ様。私がエルティーナ様に愛想を尽かす事は、絶対に起こり得ないです。ご安心ください」

「ふぇっ。……は、はい」

 アレンから発せられる甘ったるい声と言葉に、思わず変な声が出てしまうエルティーナ。それに反し、レオンはアレンのまるで人が違ったような雰囲気に驚愕していた。

「おい。アレン 大丈夫か? なんか、さっきから人が違う気がするが……じゃあな エル。俺達は戻る」

「もう一度、お会いできることを 心から楽しみにしております。エルティーナ様」

 甘くて身体が痺れる。切なく、魂の叫びのような、でも美しい旋律を奏でる優しい声をエルティーナは初めて耳にする。

 立っていられなくて侍女のナシルに抱えられる。エルティーナにとって、人の声で腰に力が入らなくなる初めての経験だった。



「ふふふ。あの時、はじめてアレンに会った時、本当に魔法にかかったみたいだった。懐かしい〜 あっ出口だわ!!」

 エルティーナがゆっくりドアを開ける…。そこには、あの時と変わらない情景が広がっていた。

「わぁぁぁ 久しぶりだわ。変わってないのね!! 凄い!! 流石、ボルタージュの王宮庭師は最高ね!!
 …アレンと会ったのは、そうこの…東屋……。もっと大きく感じたけど……。以外に小さいわ。……私が成長したのよね。本当に…懐かしいわ……」

 エルティーナは植物のアーチをくぐり東屋の中に入り、綺麗に磨がかれた木のベンチに腰掛ける。そしてゆっくり瞳を閉じる。

 暖かい陽の光が気持ちいい…。風の歌い声が聞こえる。…若葉の二重奏…素敵……だ。甘い香りがする…薔薇の香り…。暖かくて…素敵な音で…甘い香り…。

(「あぁ……。アレン…の…腕…の…中……みた…い…なん……だ……わ…………」)




 ガンガンガン!! ガンガンガン!!

 ドアを壊す勢いで叩いてくる人物「なんだ?」とアレンは不思議に思う。そもそも王宮騎士専用の宿舎でアレンに声をかけてくる強者は まずいないからだ。

 不審に思いながら、ドアを開けると凄い勢いでレオンが入ってきた。

「レオン 五月蝿い。扉を叩かなくとも呼べばいい」

「えっ。と……」

 どう見ても、たった今シャワーを浴びた後がわかるアレンを見て、事後だったかと目線を外し口ごもるレオン……。


「いきなり、部屋に入ってきて黙るな」

「えっ いや、…エルもここにいるのか…?」

「………私の自室にエルティーナ様がいるわけがない。レオン、殴られたいのか」

「えっ!? エルがいない!?…アレンの所でないなら何処に…」

 アレンの言葉にレオンは血の気がひく。が今は違う意味で血の気が引いていた。

「レオン! どういう事だ!! エルティーナ様がいなくなったのか!?」

「…ア、アレ…ン…首が…首が絞まってる…から……」

 レオンの胸ぐらを締め上げていた力を緩め、手早く服を着る。


「レオン。攫われたとは思わないんだな」

「ああ。部屋は荒らされていないし。続き部屋にはナシルがずっと居た。ランタンがなかったから、隠し扉から出たと思って。
 エルが行く所は限られてるから。お前の所かと。いきなり、シャワー後姿で出てくるから、エルとやった後かなと……
 …ア、…ア……レ……ン……息…が……」

 アレンはレオンの首を手加減無しに、怒りを込めて締めていた。

「私に冗談を言うな」

「……わ、悪……か…った……」

 レオンの首から手を離し、アレンは無言で歩きだす。
 探すにしてもまずは、ナシル達にエルティーナの直前の様子や会話を聞くのが良いと感じ、アレンはエルティーナの部屋に向かう。

 レオンは跡がついているだろう、首もとに手を添える。まだ息苦しが残る……。

(「エルに対して冗談があまり通じないのは分かっていたが……これほど…とは」)

 レオンがドアを叩いた時、エルティーナの名前を言わなかったのは、妹エルティーナは中にいて親友アレンと睦言の真っ最中だったら本格的にやばいと思ったからだ。

 冗談ではなく先ほど……アレンに対して、本気で命の危機を感じた。そんな思いをもったのは初めてだった。

 レオンはどこかをフラフラしているだろうエルティーナに、今ほど会いたいと思った事はなかった。