「アレン。昨日は、ありがとう! とても楽しかったわ。あと…色々と迷惑をかけてごめんなさい。私…アレンといると常に手のかかる赤ちゃんみたいよね」

「くすっ 赤ちゃんとは。そのように思ったことは一度もございません」

「むぅぅぅぅ…… そういう嘘をサラッと言えるアレンは イヤ!」

 軽い会話が楽しい…。エルティーナは、私は怒ってます! とわざとらしく顔を斜め上に向けて拗ねてみせた。あえて子供っぽくみえるように…。
 しばらく無視してから、すぐ我慢できなくなり、エルティーナはまたアレンの方を見る。


「何でしょうか? エル様」

 うっとり甘いアレンの声。二人っきりの時にしか聞けない特別な私の呼び名。胸が締め付けられる。好きが溢れてしまう…。

 子供でいれば、アレンと一緒にいれる。エルティーナが女を出せばきっとアレンは離れていく…それほど危ない綱渡りをエルティーナは…している。

 側に控えるアレンを感じる。瞳の端に映り込む大好きな貴方。

 抱きつきたい …綺麗に結ばれている銀髪を触りたい …逞しい腕に手を回してみたい …口付けをしてみたい 十一年前の続きがしたい…。
 そう言ったら、アレンはエルティーナを軽蔑するだろうか??
 嫌いになるだろうか??
 主人の命令だから聞いてくれるかもしれない??
 一回でいい。それ以上は絶対にお願いしないから。そう言えたらいいのに…と思う。
 でも 決して言わない。エルティーナを大事にしてくれるアレンを裏切りたくないからだ。


「……アレン……今は 幸せ?」

「…はい。とても幸せです」

「そっか。私も幸せ」

 エルティーナは、たくさん、たくさん、言いたい事を堪える。手を伸ばすと触れる距離にアレンがいるのに…。

(「私には、この距離がすごくすごく遠くに感じるの…」)



 アレンは、エルティーナの少し寂しげな横顔を見つめる…。

 エルティーナはアレンにとって、初めて会った十一年前から〝女〟だった。アレン自身が〝男〟である事に気づいたのはエルティーナと出会えたから。わざわざ言葉にしなくても当然アレンは幸せである。
 エルティーナの側にいて その貴女が生きているだけで…アレンは幸せだった。


(「願わくば…生命が終わるその時まで…私は貴女を見ていたい……」)


 長く続く廊下は終わりをつげる。

 謁見の間。ボルタージュ王宮の中で、最高の豪華さと美しさをもつ場所が、謁見の間である。
 三十六本のアーチ状の柱はすべて黄金であり、ボルタージュ王国が得意とする彫刻が施されている。壁はすべてが鏡となっており、その鏡にまで彫刻がなされ荘厳。

 天井には太陽神と十二神、数多の天使達が描かれ、そこからは美しく磨かれたクリスタルがふんだんに使用されているシャンデリアが下がっている。


 エルティーナは静かに目の前の扉を見つめる。
 天井にまで伸びる歴史を感じる重厚な扉は、威圧感がありエルティーナの神経を縮こませる。
 手が震え、恐怖心が…心を支配する。

「エル様」

 アレンの声が聞こえ、エルティーナはアレンを見上げる。優しくそして穏やかに微笑むアレンが右手を前に出してきた。
 何をしたいのか分からないエルティーナは、アレンの手を被う革手袋を凝視する……。

「エル様 手を…」

 アレンは、そう言うと胸元で握りしめられているエルティーナの手の上にそっと己の大きな手を被せる…。

 エルティーナにとって、アレンと触れ合わないのが当たり前の日常。

 それが昨日から違っていて… 抱きしめられ… 抱っこされ… そして手に触れてくる…。

 驚き握りしめていた手が分かれ、右手はアレンの大きな手の中に…それを呆然と見ていると、目の前が銀色一色になる。
 さらさらと光沢がある美しい宝石を練り込んだような髪を「綺麗……」と思っていたら、手の甲に柔らかな感触が……。

「えっ」と感じた時には右手の拘束はとけ、銀糸の髪一色だった景色は先ほどと同じに戻っていた…。

「……ア…レン…」呆然と名前を紡ぐエルティーナにアレンは微笑む。

「私はエル様の側におります。さあ 行きましょう」


 嘘…みたい……だ。手の甲に…口付…け…された……。昨日からアレンは少し違う…どうしてエルティーナに触れてくるのか??
 今まで一度も…無かったのにだ…。
 十二歳の時、エルティーナの騎士になったアレン。それから今まで一度も触れてこなかった。
 エルティーナは自分が臭いのかと思ったこともあったのに……。
 どうして今なのだろうか!? エルティーナがフリゲルン伯爵と結婚するから、もうお守りが終わったと思ってるからこのような密な触れ合いをするのか!?
 安心…しているのだろう……アレンは罪深くひどい人だ。エルティーナの色々な決心が鈍りそうになっていく……。
 フリゲルン伯爵と結婚なんてしたくない! アレンとずっと一緒にいたい。そう…言ってしまいそうだった。


 アレンが開くドアの向こうへ歩く。

 エルティーナの視線の先には、お父様。お母様。そしてレイモンド・フリゲルン伯爵の姿があった……。


「大変お待たせ致しました。エルティーナ・ボルタージュ 只今、参りました」

 少し腰を屈め、ドレスの裾を少し持ち、目線は相手の足元。エルティーナの所作はやはり美しく完璧だった。
 アレンは名乗る事もなく、きっちり腰をおり胸に手を当て騎士としての拝礼をとった。


「エルティーナ。単刀直入に言おう。先ほど、フリゲルン伯爵からエルティーナ・ボルタージュを貰いたいと進言があった。決めるのは其方だ」

 エルティーナは、声が震えないように一度唇を噛む。
 じんわりと血の味が広がる。

「…私、エルティーナ・ボルタージュは レイモンド・フリゲルン伯爵のお申し出をお受け致します」

「分かった。では、これから六ヶ月の婚約期間のち 結婚。エルティーナ・ボルタージュは王族として 名を除名し。降嫁となる」

「かしこまりました」

 エルティーナの言葉の後、レイモンドの声が聞こえる…。

「有難き幸せ」

 少し高めの声…。聞きなれないこの声がエルティーナの不安を掻き立てる。
 王の言葉が終わり。王が王妃に目を向ける。王妃はうなづきアレンを見る。

「アレン・メルタージュ」

「はい」

「エルティーナが、フリゲルン伯爵家へ入るまでの六ヶ月。最後の勤めとし、尽力を期待します」

「…かしこまりました」


 母とアレンの声が遠くで聞こえ、まるで死刑宣告を受けた気分になる。

 この時エルティーナは、もう立っているのがやっとであった。