「本当に、気持ちがいいわ。暑くもなく寒くもなくて」

 エルティーナは、馬に揺られながら幸せを噛み締め、鮮やかに咲き誇る草花を見つめた。


「そうですね。今の時期はとても過ごしやすいです」

「……ええ……」

 馬の蹄の音を心地よく聞きながら、アレンの美声を耳にし、エルティーナはとても心穏やかだった。

 風が気持ちいい…心が暖かい。アレンの気持ちが分かって嬉しかった。
 正直なところ本当は恋人のように想われたかったが、主人としては最上級に大事にされていると分かった。これ以上の幸せを望んではならない。これは間違いなく〝幸せ〟なんだと…。


 (「風が…気持ちいいわぁ…」)
「…アレンって…………とっても…甘い匂いが……する…わ…」

 エルティーナにとっては、心の声がたまたま口から出ただけ。何気なく言った事だったのでたいした意味もなかった。
 しかしエルティーナが言葉を発した後、アレンの身体がいっきに強張り、息を止めたのが分かった。


「?? アレン? どうしたの…?」

 アレンの緊張がエルティーナにも伝わり、先程までふわふわしていたエルティーナも、何故か緊張気味にアレンに問う。


「……不快…で…しょうか……」

 恐ろしく強張った声が頭上から聞こえる。

(「……??? 何が?? 不快??」)

 言われた事の内容がよく分からず…一瞬きょとん。として…アレンが言った内容を理解してエルティーナは覚醒した!!


「私。今、口に出してた!? 違うの違うわ!! 不快だなんて思ってないわ!! むしろ甘くていい匂いで素敵。って気持ちでいったのよ!!
 …でも…ごめんなさい…嫌よね…好きでなった訳でもないのに……」

 私の馬鹿! 私の阿保!! と自分を責める。アレンから甘い匂いがするのは、病の所為で薬漬けの毎日だったからと知っているのに。
 エルティーナが自分を目一杯攻めていた時、背後にいるアレンの身体の力が抜けたのが分かった。


「不快でなければ、いいのです。こればっかりは、どうにも出来ないので」

「そんな投げやりに言わないで!! 私は大好きよ!!
 アレンの匂いがとても好きで…前に一度、お兄様に同じ香りの香水が欲しいわっ言ったら、悪魔のような顔で怒られた事があるのよ。
 ………アレンにとってあまり思い出したくない過去だものね…。軽率な口でごめんなさい」

「…エル様…貴女は本当に天使ですね」

「何が? 意味が分からないわ? 私が天使って…アレンは口が上手いんだから。もうっ!!」

 エルティーナは自分を柔らかく拘束している、アレンの腕をペシッと叩いた。


 間違いなくエルティーナは天使だった…。神がアレンに与えくれた天使…。
 …十一年前にも…エルティーナはアレンにそう言ってくれた…。
 当時、アレンの病は先天性のものだから大丈夫、うつらない と医師から言われていても、咳き込むアレンを世話する侍女は常に眉間に皺を寄せ何度も鼻と口を塞ぎ、同じ空気を吸おうとはしなかった。

(「そんな私にエル様が初めて……いい匂い、と言ってくださったんです……」)

 記憶がある幼い頃からずっと、人との距離は遠く、己は嫌悪される存在だと理解していた。
 別段それが悲しかった訳でも辛かった訳でもなく、ただ早くこの痛みから解放される未来だけを願い生きてきた。
 でもあの十一前にエルティーナと出会いアレンの生活 全てが変わった。
 エルティーナは強固に作られた壁をいとも簡単に叩き割り、心深くに刺さる棘を全て抜いて、穴だらけの心を優しく抱きしめてくれた。

(「あれで好きにならない訳がないだろう。私に生きる希望をくれたのだから……)

 アレンは昔を思い胸を焦がす。これ以上思いが溢れでてしまうのを防ぐ為に、エルティーナに冗談を言ってみせる。


「エル様…私とくっついていたら、匂いは うつるかもしれないですよ」

 冗談めかしてアレンはエルティーナに微笑む。

「まぁー素敵!! では………」

 エルティーナは嬉しそうにお尻と背中を左右小刻みに揺らしながら、アレンに押し付けてきた。隙間なくピッタリと。
 エルティーナの腰骨と尾骶骨が、男の象徴を緩やかに押してくる。
 ガッツリ当たっている…というかすでにムニムニ押されて、完全に形が変わっている。
 能天気なエルティーナのまさかの行動に硬まる。


「エ、エル様っ!! 待って、待って…下さっんっ…いっ!!」

 アレンの必死な声に、きょとんとしたエルティーナ。

「馬上なので…あまり身体を動かさないで頂きたいのです。馬も…驚きますしね」

「あっ、そうね。ごめんなさい」とエルティーナは元いた場所に戻る。


(「エル様…私にとって、それは…拷問ですから……」)

 アレンは自分の言動を呪った……。


 芸術の都であるメルカ。有名な防波堤壁画以外にも、街並み全てが同じ建築様式であり統一感のある様は、異空間に紛れ込んだようになる。
 螺旋状に伸びた大通り。それらをつなぐ路地は綺麗な碁盤の目になっており、家々はそこに住む人でも迷うくらいに、同じ建築物が並んでいた。


「エル様。大丈夫ですか? そろそろ、馬から降ります。人通りの多い場所では馬だと移動しずらいですので」

「…うぅぅぅ。迷子にならないか心配だわ…。いい年して、迷子になったら恥ずかしいわ………」

「………くっ…くっ…」

「アレン!! 笑い事ではないわ!! 切実な問題なのよ!!!」

「おい…エル……。王女が迷子なんてやめてくれよ」

 馬から下りながら、レオンは溜め息を吐いた。恐ろしい事が起きない事を願いながら…。

「…き、気をつけます…」

「大丈夫です。私がエルティーナ様をずっと見ておりますので心配ございません」

(「うっ…アレン、笑顔が眩しいわ」)

「ほら、エル!!」

 馬をパトリックに預けたレオンは、馬上のエルティーナに手を出す。

「お兄様!? えっ!? まっっ……て……ふぁぁぁっっっ!!!」

 ウエストに手を添えられて、馬から降ろされる。
 そして大きくてがっしりした、体温の高いレオンの手がエルティーナの柔らかい手をつかむ。

(「キャァー キャァー !! お兄様と手を繋いじゃったわ!! なにこれ嬉しすぎるわ!!!」)

 エルティーナの顔は真っ赤で目も潤んでいる。久しぶりに兄に甘えれる。大好きなお兄様にだ!!

「お兄様、大好き!! 最高です!!!」

 レオンの腕にすがりつくように、体重をかける。

「こら、エル。歩きにくいから、体重をかけるなよ」

「はーい!!!」

 仲の良い二人にアレン、パトリックとフローレンスは思わず笑みがこぼれていた。


「パトリック、私達の馬はあちらに預けよう」

「アレン様。こんなとびっきりの軍馬を預けて大丈夫ですか? 盗まれたりとか…」

「レオンや私の軍馬を乗りこなせる。そんな高度な技術がある泥棒なら、譲っても構わない。百発百中、乗りこなすまでに死人がでる」

(「さらっと恐い事を…やっぱりアレン様は、エルティーナ様の側だけなんですね、優しいのは…」)

「フローレンス、私の馬を頼む。私はレオンとエルティーナ様と先に行く」

「「かしこまりました」」

 パトリックとフローレンスの声が重なる。


 命令されたことに口出しはしない。パトリックとフローレンスよりアレンは身分が高い。文句はない…ないのだが。
 レオン殿下といちゃいちゃしながら戯れているエルティーナ様の所に、歩いて行くアレン様……。

 歩いていくアレンの後ろ姿を見ながら二人は思う。

 昼間から色気たっぷりのレオン殿下と、ふわふわ天使のエルティーナ様に。
 さらに、氷の美貌のアレン様が加わり…三人で街を歩くのですか? 目立って仕方なくないでしょうか……。そう宣言したい。

 あれだけ派手な人達だ、絶対に見失う心配はないか…と諦め感が否めない。



 美しい三人が一緒になり、何かを話している姿はまるで神話の中の世界である。

 もうすでに何人かはエルティーナ、アレン、レオンを見て拝んでいた……。