「……エルティーナ様…今日も、起きないのですか……?」

 ナシルの優しい声が部屋に響く…。

「………」

 エルティーナも起きるつもりだし、いつまでもこのままで良いとは決して思っていない。
 でも…もう昔のようには戻れないのだ…。

 アレンは隣国の王女と結婚して、エルティーナには新しい護衛がつく…いや年齢も年齢だから、もう護衛はつかないだろう。
 より先に旦那様探しをしなくてはならない。レイモンド様とかでいいかと、投げやりになってきた。 本当に面倒くさいのだ。

 レイモンドに関して正直な感想を言えば、好きだ。何故か…安心する方で…それが…エルティーナには不思議でならない。
 兄やキャットに近い雰囲気をもっている…それは奇しくも特別な誰かが既にいる感じがあるのだ…。
 レイモンド伯爵は華やかだし、女性の扱いも上手く、一見アレンみたいに沢山の恋人がいるように見えるが、お茶会でも噂が全くなく、不特定多数の恋人の影が見当たらない。

 そう、兄レオンやキャットと同じ…お父さんな雰囲気…?それが一番当てはまる。妻がいて子供がいる…そんな感じ…。
 独身なのは確かなようだが、真相はエルティーナには分からない。

(「分からないわ…まぁいいか。なるようになるわね。…あぁ…アレンに会いたいなぁ」)

 エルティーナの思考の最後はいつもアレンで終わる。これ 鉄則。


「エルティーナ様。起きていらっしゃいますか?」

「寝ているわ」

「…起きていらっしゃるんですね。エルティーナ様、起きていますか? の返事で、本当に寝ている時は返事はしないものです。詰めが甘いですよ」

「……いいでしょう。別に…。お腹も空いてないし。これで少しは痩せれるわ」

「昨日、果実水しか飲まれてません!! それ以上痩せてどうするんですか。まったく…。わかりました、ではアレン様お手製のスープは、私どもで頂きますね。
 エルティーナ様はお腹いっぱいで、食べられないとアレン様にお伝えしますので、悪しからず」

「…うぇぇぇぇっ!!!!!」

(「アレンのお手製スープって、病気の時とか、お腹壊してうんうん唸っていた時に作ってくれた、あの特別スープ!!!」)

「いくわっ!!!」


 エルティーナは一気に、シルクの薔薇模様が刺繍された最高級の羽毛布団を放り投げ…裸足のまま扉に走って行こうとした……ら、ナシルに羽交い締めされた。

「エルティーナ様!!! 続きの間には、アレン様がいらっしゃいます!!! なんて格好で、出て行くつもりなんですか!!!」

「…え、でも折角のスープが冷めちゃうわ。アレンは別に気にしないわよ。大丈夫だわ!!」

 エルティーナは、力一杯力説した。

「気にする、気にしないの問題ではございません!!! 大人のレディーとしての慎みの問題です!!!!」

「うっ……わかったわ。早く着替える」

 ナシルは、もの凄く深い深い溜め息を吐き…眉間を揉んでいた…。

 一連の流れを見ていたエルティーナ付き侍女達は、エルティーナの警戒心がまるでない有様に『姫様の貞操は、私達が守ります!!! 姫様の未来の旦那様!!!』とエルティーナの未来の旦那様に心の中で誓ったのだった。


 ドレスを着る。まさにこれだけ。

 普通は髪の毛やら化粧やらで時間がかかるはずなのに、エルティーナはもとが良い為、日頃から身支度は短時間で済ます。他者からすれば有り得ない現状を、全く気にしていなかった。
 気にならない、それこそが美人な証拠なのだが、神がかったアレンや兄を見続けている為、自分への評価が限りなく低いエルティーナだった。


 バーン!!!!!! 凄い音と共に扉が開いた。
 ちなみに、普通のお姫様は自分で扉は開けない。甘やかされたエルティーナにとって、普通は普通ではなかった。

 特別スープが飲める。またアレンに会える。エルティーナにとっては嬉しくて嬉しくて、自分が拗ねていた事を綺麗さっぱり忘れていた。
 満面の笑みで続き部屋に入ったエルティーナが目にしたのは……ソファに浅く腰掛けたアレンが、肩を震わせて笑っていた……。


(「か、可愛い。たまらなく可愛い。やばいな、可愛いすぎる」)アレンはエルティーナの可愛さに悶絶していた。

 朝だからすこしカスれた声が可愛い。あれだけ怒鳴られていても、怯まず言い返す姿が可愛い。女性なら何よりも時間をかけ飾り立てる身だしなみより、スープが食べたいという言動が可愛い、たまらなく可愛い。
 王女らしからぬ行動…扉を力一杯開ける姿が可愛いすぎた。

 アレンがエルティーナにとってまるっきり、これっぽっちも《男》として見られていない事が何故か辛くはなかった。

 エルティーナにとって、アレンは侍女や家族みたいなものだと。我が儘が言えて甘えられる存在。夫婦は離れることがあっても、家族は離れることはない。離れていても大切に想い続けていい。ずっと続く幸せ……それがアレンの望む幸せだった。


「……アレン…。ひどいわ!! 笑わないで!!」

「申し訳ございません。会話の内容があまりにも衝撃すぎて。エルティーナ様らしくて可愛いですよ」

「むぅ〜〜〜……ふんっ!!」
(「どうしよう…涙がでそう」)

 舞踏会での一見で気まずくなり会わなかった昨日。時が経つにつれ、ますます会いづらくなっていたが、いつものアレンがいて、いつもと同じ光景だ。アレンが優しいし怒ってない。
 いつもと同じような朝をむかえられ、嬉しさから踊り出しそうである。

「さぁ。温かいうちにどうぞ」


 アレンの優しい声で胸がいっぱいになる。二日前の事が嘘みたい…。悪い夢を見ていたのだろう。

(「神様…、旦那様もすぐ決めます。我が儘もいいません。……だから……もう少しだけ。あと少しだけ……。アレンの側に…いさせてください……。
 あと…少しだけ……」)

 今この瞬間に感謝しながら、エルティーナは可愛らしく跳ねる。


「わぁ!!! 久しぶりだわ!!! アレン、早く開けて! 開けて! ……う〜ん。いい香り。幸せ〜」

「…くすっ。注ぎますね」

「ええ。よろしくお願いします!!」

 目の前には注がれた湯気の出るスープがある。食べてしまうのは大変もったいないが、インテリアとして置いとくのは無理だから、泣く泣く食べる決心をもつ。

「わぁ!! では…《太陽神と大地を育む生命達に心からの感謝を…》」

 エルティーナは、王国では当たり前にされている…食べる前の祈りを捧げて。早速食べ始める。

 銀スプーンを手に持ちスープをすくう。細かく切られた食材がスプーンの上で、ゆらゆら揺れている。
 溢れないように、いつもより少しだけ口を大きく開けて中に流し込む。

(「美味しいわ!!! 食材が小さく切られているからスプーン一杯で、色々な味わいが楽しめる!!! さすが、アレンだわ!!!」)

「アレン、美味しいわ!!!」

 エルティーナは、興奮気味にアレンの顔を見た。その瞬間衝撃が走る。



(「…ぃやぁぁぁぁぁ!! 何!? 何なの!? 変な…気持ち…に…な…るし…気が遠く…なる…」)

 エルティーナは、ただ美味しわ。と…ありがとう。という為にアレンを見たのだが、アレンの顔が…表情が強烈だった…。

 エルティーナに向けるアレンの顔は、清々しい朝に見るものではなくなっていた…。

 恍惚とした表情に、あり得ないくらいの色気がのった薄く開いた唇。
 そこから官能的な息がはき出され、うっとりとしたアメジストの瞳には、男の底知れぬ欲望が垣間見える…。

 まるで、甘く柔らかく官能的に、アレンから口付けをされている気分になった。

 エルティーナのファーストキスは、もちろんアレンだが…幼かったころの実際の口付けより、今起きている場面の方が断然! 男女の肉体関係みたいなのだ…唇と言わず…身体が絡めとられそうである。

「はっ」と我に返って、スープに目を戻した。
 エルティーナの頭の中は疑問がいっぱいで、しかしこれ以上アレンを見ると失神する自信がある為、視界にアレンを入れないようにスープを飲みすすめる。


(「だめ…気になって…味が分からないわぁ!!」)

「…アレン!! 食べるのを待ってなくて大丈夫よ!!」

 案に何処か違う所にいって!! のつもりで、エルティーナは必死に懇願する。


「いえ…久しぶりに作ったスープでしたので、ちゃんと食べれるものに出来上がっているか気になります。
 私の事は、気になさらず…」

 アレンの声が色気たっぷり甘くて濃厚で、例えアレンの姿を視界に入れなくてもエルティーナは意識が飛び、失神しそうであった。

 エルティーナはいたたまれない状態で、スープを全て食べきった。

 悲しいかな美味しいであろうスープは、全く味の分からないものになっていた……。