だが数日後の小雨の日。
 綾姫はいつものように、しばし傘をさして庭を歩いていたが、不意に朝芳の部屋のほうに近付いてきた。
 縁側に、静かに腰を掛ける。

「……久しぶり」

 小さくか細い声に、朝芳は筆を持つ手に、ぐっと力を入れた。
 筆が震えないよう、丹田に力を入れて俯いていた。

 二人は初対面ではないのだ。
 綾がここの殿様に見初められたのは五年前。

 元々は朝芳の居候先である四郎兵衛の家の傍の船宿の娘だった。
 朝芳よりも随分若かったが、出入りするうちに恋仲となっていったのだった。

 綾の美しさは、当時から評判だった。
 それがまさか、殿様の耳にまで届くとは、誰が想像しただろう。