宙返りして番傘の姿になった雨造を空中で受けとめた。反動で開いた傘がバンという威勢のいい音を出す。落胆していた祖母と田中が、音に反応して俺と雨造を見た。
「差せば雲わき、回せば風吹き、上下に動かしゃ雨が降る」
 不思議だ。一回だけ祖母に聞いた歌なのに、自然と口から流れるように出た。
 歌詞に倣うように傘を動かすと、火事であがった煙が雲のようなかたちになっていく。空気が湿気を帯び、気温が下降していくのがわかった。
「差せば雲わき、回せば風吹き、上下に動かしゃ雨が降る」
 もう一度。という雨造の声が脳内に響いたので二度目を歌う。
「ざんざんぱらぱら、ざんぱらぱら」
 雨が降る擬音部分を歌いはじめた途中で、傘に何かが当たる感触があった。その感触がいくつかあると同時に、足もとに水玉模様が形成されていく。
「おい、雨だ。雨が降ってきたぞ!」
 近所の人たちが歓声にちかい声を上げる。小粒の雨は大粒へと変わり、勢いを増していく。
 その中で俺は不思議な感覚にとらわれていた。いつも見る雨粒が、何か力を纏ったように黄金色に輝いている。そして、脳内で反響するかのような声が次々と聞こえてきていた。
「これって、付喪神たちの声なのか」
 全てが「助けてくれてありがとう」という感謝の言葉。その声が音だけではなく可視化の状態。黄金色の光というかたちで俺を周回する。
「良かった。みんな助かったんだな。良かった」
 番傘の雨造の声が聞こえた。そうだ。祖母の家には古きモノがたくさんあった。
 長く使われる付喪神と成り得るようなモノたちが。柱時計。桐ダンス。ちゃぶ台。そして、蔵の中のモノたちも。
 それは、俺たちがいる日常にはない古き良きモノ。大切に扱われ、その感謝が、想いが、魂となり命を宿したモノたち。
『物と友達は大事にしろよ』
 黄金色の光につつまれながら、祖父の声を聞いたような気がした。そして、雨造の声も。
「モノたちは、そして、付喪神は大切に扱ってもらえるだけでも嬉しいんだ。主人の笑顔、触れてもらった温かさ。その全てが宝物になるんだ……」
 黄金色の光が徐々に薄れ、雨造の声が小さくなっていく。途端に「妖力がなくなっちゃう」「雨造が戻っちゃう」という声が聞こえた。
 妖力がなくなる? 雨造が戻る? 他のモノたちは何が言いたいんだ?
 まさか! という推測が、前に聞いていた祖母の話でつながった。
『おじいさんは雨が降ってきたというのに、なぜか泣いていたのさ』
 炎は雨で勢いをなくし鎮火をはじめていた。消防車のサイレン音が近づいているのがわかる。もし、雨が降っていなかったら、家は間違いなく全焼していただろう。消しとめることが出来たのは雨造のお蔭だ。けれど、けれど。何で――
「おいら、光輝が大好きだ。友達だから。みんなも光輝が大好きなんだ。小さい頃の光輝も知っているから。光輝の笑い顔がみんな好きだ。光輝が好きな、そんな仲間も大好きだ」
 雨がやむ。俺は泣く。俺の周りを飛ぶ光たちが、次々に雨造に言う。
「おやすみなさい」「おやすみなさい」「今度は五十年後」
 こだまのように響き渡る声を聞いて、雨造が笑った気がした。
「光輝の孫とも友達になるんだ。だから、おやすみ。今度は五十年後に……」
 五十年後に……その後に紡がれる言葉は「会おう」だったのだろうか。いや、雨造ならきっと「遊ぼう」だ。
 そうだ、雨造は付喪神。主人の感謝の気持ちで魂を持つ付喪神。これは永遠の別れじゃないんだ。
「ああ、雨造。また、遊ぼうな」
 番傘をとじると、奇麗な虹が視界に飛びこんできた。自然が生み出す空を描く七色の造形美は、俺が今まで見たなかで一番奇麗に見えた。まるで光と雨の五十年後の再会を望むかのように。
 そして、三十分を知らせる柱時計の音が一回だけ響いていた。