夏休みを終えた朝は憂鬱だ。誰もが同じだろうと俺は思う。
 もし、夏休みを終えた初日の登校は、嬉しくて興奮するという奇天烈な奴がいるのなら、誰なのか教えてほしい。
 と、思ったが、目の前に存在していることに気づいた。雨造だ。
 目覚ましがなってもなかなか起きなかった俺は、雨造に叩き起こされた。
 あまりにも起きろと煩いので階段を降りて食卓に向かうと、いつも、起きてこない俺を起こしにくる母さんが「あら、起きられたの? 珍しいわね」と目を丸くして言う。
 付喪神に起こされたとも言えないので、黙って席に着いて焼きたてのパンに齧りついた。そして、コーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて一気飲みする。
 雨造がここに来たばかりの時は、目につく食べ物全てに興味を示されて煩かった。仕方がないから、母さんの目を盗んで雨造にも食べ物を渡す。俺から見たら雨造が食事しているだけなのだが、他の人には雨造は見えない。
 ――食べ物が消えているように見えるんだよな。
 そう思うと、心臓の鼓動がはやくなる。ただ、それも繰り返すうちに慣れてしまった。
 雨造がいない生活を今は考えられない。煩いと感じることはあっても、雨造は親友でもあり家族。弟のような存在になっていた。
『物と友達は大事にしろよ』
 祖父が俺にそう言ったのが納得できた。
 準備が終わると登校だ。初日だし、気乗りしないのもあるので足が重い。
 しかし、途中で背中を叩かれた。級友の田中優美だ。横掘に消しゴムを投げつけられて目に当たった生徒が、この優美だった。
「おはよう。そのペースだと遅刻するよ。宿題は終わった? 私、英語作文に苦戦してさ。いとこの友達に手伝ってもらってね。アメリカ留学していた人だから助かっちゃった」
「それ、ばれないか? 田中は英語苦手なんだろ。それが、急に複雑な英文書を提出したら、おかしく思われないか?」
「それはちゃんと対策済み。ばれないように書いてって注文しちゃった」
 手にしたカバンを軽く振りまわしながら、通り過ぎていく級友に「おはよう」と優美は挨拶をする。俺も続けて挨拶。雨造はというと、田中のカバンについているビーズのアクセサリーが気になるのか、姿が見えないのをいいことに触っていた。
 行く時からこれだと先が思いやられるな。そう考えていると、雨造が戻ってくる。その表情は何故か気に病んでいるように見えた。
「あいつも付喪神になれるかな……声が聞こえなかった」
 そう言えば、そんなことを言っていたなと思い出す。ここには雨造の仲間である付喪神がいないのだろう。
 ただ、雨造のその落ちこみは学校に到着すると霧散したらしい。俺の心配を他所に、あちこち行っては、何かしら発見して興奮しながら、「あれは何か」と聞きに戻ってくる。静かに授業を聞いていたのは一時限目の二十分間だけだった。無理もない。十歳の祖父に付き合っていた学力なら、中学生の授業は理解不能だろう。
 それでも給食の時は寄ってくる。席を合わせているために、欲しがる雨造に渡すわけにもいかない。牛乳パックが特に気に入ったらしく、飲み切って音を立てている奴を見て大笑いしていた。
 授業が終わると疲労感が半端ではないくらい激しく襲いかかってきた。掃除するのも億劫だ。皆で適当に終わらせると帰り支度をする。
 雨造も帰る雰囲気を感じ取ったのだろう。俺が帰ることを伝える前に来てくれた。
「田中って子。指差された後、何て話していたんだ。おいら、全然わからなかった」
 英語の宿題の朗読は田中が先生に指名を受けた。英語の苦手な田中は、自分では理解しきれていない英文を必死になって読んだ。それが雨造には不思議でならなかったらしい。
「英語……といっても雨造にはわからないか。違う国の言葉だよ。ほら、お前ともよく話したろう。オッケーとかサンキューとか。あれは単語で、田中が今日、話したのは文章」
「ふーん」
 何となくの返事を雨造はする。この野郎。興味ない話にはとことん無関心なんだな。そう思っていると、雨造の視線が進行方向はるか先に向けられていることに気づいた。
 入り口で田中が何かを叫んでいるのが見えた。叫んでいる相手が誰かと思って見たら、横掘だ。隣には川口も海野もいる。挑発するかのような下品な笑みを浮かべながら、足元に落ちている何かを横掘は蹴っていた。
 その蹴った物を見て、雨造が唇を震わせ拳を握りこんでいるのがわかった。俺が雨造と出会っていなければ、それは些細な出来事で終わることだったのかもしれない。
 しかし、雨造と出会った俺は違った。横掘が蹴った物――それは無残にも折れ曲がった傘だった。