葵和子さんの前に出た人は、車椅子に乗った正蔵さんで。車椅子は秘書の佐倉さんが押してた。
「あなた……」
まさか、夫が自ら会いに来るとは思わなかったんだろう。今までにないほど葵和子さんは動揺していた。
「……よく、来てくれた」
「…………碧さんと伊織の為ですから」
「そうか……」
ぎこちない会話はそれ以上続かず、すぐ沈黙が訪れる。焦った私は、会話をもたせようとして妙なことを口走った。
「そうだ! もうすぐ桜の季節ですよね。川沿いの桜が満開になったら、みんなで見にいきましょう! 伊織さんはりんごあめが好きなんですよ」
「…………」
何とも言い難いびみょーな空気が流れて、自分がやらかしたことを悟りましたよ。
どうしよう、どうしよう。焦った私の耳に。信じられないものが聞こえた。
「くくっ……わっははは! そうか、伊織はりんごあめが好きか」
「あ、はい。金魚も。太郎と花子と名付けてかわいがってます」
おまけで話してしまったけど。正蔵さんが少しでも息子を理解する助けになればいいと思って。
「そうか……そういえば……拾った子犬にも同じ名前を付けてかわいがってたな」
正蔵さんの言葉に、葵和子さんがハッとした顔をして口に手を当てた。
「あなた……気づいてらしたんですか? 伊織のことを」
「当たり前だ。おまえとの子どもだ……避けられるのが怖くてなかなか話せなかったが、いつも見ていたよ」
「あなた……」
「すまなかった……葵和子。わしが不甲斐ないせいでおまえたちを追い詰めた。許してくれとは言わんが……せめて話はさせてくれんか?」
「……はい」
葵和子さんはそっと涙を拭うと、正蔵さんへ微笑んだ。



