「――――い」


どこからか声が聞こえる。そして私は、それを知っている。


「おいルナ」


だんだんとはっきりとした輪郭を持ち始めるその声は、私の名前を呼んでいた。誰かに揺さぶられているような感覚。その優しい感覚を覚えたことは以前にもあった。


それは、あいつの手が私の頭の上に乗ったとき――。


自分のおぼろげだった意識がはっきりしたのは一瞬だった。さっきまで感じていた、ふわふわとした世界。それは私が眠っていたことを意味していた。


「お前、人の部屋で何勝手にくつろいでんだ」


少し困惑した表情を見せながらも、でもあの悪戯に笑うその顔も変わっていない。


……とくん、とくん。


ずっとその声が聞きたかった。ずっとずっとその笑顔を待っていた。


――ケロッと目を覚まして、何事もなかったみたいな態度で図々しく笑うと思うよ。


昨日ナイトさんが言っていたまさにこの状態を、ずっとずっと待っていた。


「バカァァァァァ……!」


「えっ。お前泣いてる?」


「うっさい誰があんたなんかのために泣くかバカ……!」
「さりげなく罵声浴びせんじゃねえよ」


つーか誰も俺のためにとか言ってないけどな、とこちらを見ながらニヤリと笑うそいつ。


起きたと思えばさっそくこうしてからかうばかり。こいつの策にまんまと嵌る私も私だけれど。


でも。


安心するんだ。こいつの目が開いているとわかっただけなのに。いつもと何ら変わらないとわかっただけなのに。ほんの少し、会話しただけなのに。それがこの上なく嬉しい。


……とくん、とくん。


本当は、自分の中のどこかでもうとっくに気づいていた。でも、“それ”を認めるのが怖かった。自分のものとして受け入れるのが怖かった。


得体のしれない“それ”を定義するのはとても難しいけれど、この音が“それ”をずっと前から主張していた。


知らない知らない、とどこかで逃げていた。“それ”と向き合うのが怖くて、“それ”を知ってしまうのが怖くて、“それ”を知られてしまうのが怖くて……。


「わ……私、アスタさんたち呼んでくる」


この場にいるには平常心を保てなかった。“それ”を知ってしまったから、もう後回しにすることができなくなった。


「あ、待てルナ」


立ち上がろうとしたそのとき、私の腕をゼストが掴む。でもその状況は一秒にも満たないくらいの一瞬で終わった。


気づけば私の顔は、彼の胸に埋まっていた。何かに包まれているような、そんな感覚。きゅっと力の入るそれは、優しくて、そして温かい。


「……怪我、してるくせに……何やってんの………………?」


言葉が途切れる。でも今の私にはそれが精一杯だった。


「まぁあばらは何本かイカれてるな」


でも、と耳元で囁くそいつ。初めて耳にするその声色。それだけで顔に熱が帯びるのがわかった。





「こうやってお前を抱きしめるための腕は頑張ってくれたよ」





その言葉が何を意味しているのか、まだ混乱した頭の私にはわからなかった。


「とっ……とにかく! 私、アスタさんたち連れてくるから……!」


そいつからパッと離れ、私はその部屋を出た。


……どくん、どくん。


思い出すだけでも爆発してしまいそうだ。アスタさんの部屋に行くまでになんとかしないと……。


「…………………………」