「――へえ、そういうこと」
納得したのかしていないのか、そもそも何に対して“そういうこと”だと認識したのかはわからないが、何かを察したかのような口調でそいつは言った。
「そういうことなんで、その“完璧な許嫁”とやらに伝えとけ」
そういうこと。
そういう、こと。
そういう、こと…………。
「……はあああああぁぁぁ!!?」
状況が掴みきれていなくて、というか何が起こったんだかもわかっていなくて、そのうえこの二人が何について話しているのかもあやふやなままで、そんな感じで私はこうして叫ぶことしかできないわけである。
「こいつ、俺の彼女なんで」飄々と言うこのバカな幼馴染。
待って! マジで待って!
アスタさんもソウヤさんももう完全に硬直状態なんですけど! 全然知らなかったみたいな顔なんですけど! ていうかこんな場面で公表すんなってホントにさぁ!
……ああでも、どうしてか心地がいい。どうしてか安心できる。どうしてかいつもいつも頼ってしまう。それはきっと、相手が“こいつ”だからなんだと思う。もうそういうことしか考えられない。
幼馴染がいつのまにか恋人になってしまうなんていうパターンは漫画やアニメだけの話だと思っていた。でも、今ならその気持ちもよくわかる。
「……わかったわ」これ以上にないくらいの深いため息をつき、“母親”は言った。
「言っておいてあげる。でも、どうなっても知らないわよ」
「どうなろうが知ったこっちゃねーや」
ゼストの言葉が届いたのかどうかはわからないが、何も言わずに立ち上がって玄関へと歩き出した。ようやく、である。まったく、私が外に出ている間に帰ってくれればいいものの……。
ファーの付いた濃いブラウンのショートブーツを履き、玄関の扉に手をやる。ガチャリ、と開いたその隙間からは外の光が入ってくる。それが逆光になって彼女の輪郭が曖昧になっていく。光の中に姿が消えていくのは思ったより早かった。
「……お母さん」
彼女のことを“お母さん”と呼ぶのはいつぶりだろう。もう10年以上は呼んでいない気がする。本当なら、一番近くて一番頼りがいがあって一番大好きでいられる存在の“お母さん”。でも私は――。
「私は、お母さんが嫌い。大っ嫌いなの」
「……知ってるわ」足を止めて、声だけをこちらに向ける。そして。
「――本当に、ごめんね。ルナ」
初めて――目が合った、気がした。それも、ほんの一瞬だけ。
それはそれは穏やかな瞳で、私は彼女のそれを生まれて初めて見た。じゃあね、と彼女は言うともう振り返らなかった。真っ白な光の中に淡々とした歩調で消えていった。
「……バイバイ、大っ嫌いなお母さん」
本当は……もっともっと話したかったんだよ。なんて、死んでもいってやんないけど。



