「いいか、ルナ」
応接間の前でひそひそ話をするように言ったのは言うまでもなくゼストである。ちなみに廊下と応接間は扉で隔てられていた。あの後誰が閉めたのかは知らないが。
そんな状態だから今この廊下から知ることができるのは中の声によるやりとりだけ。音立てるなよ、といつになく慎重に忠告するゼスト。そこまで真剣に言われたらそりゃ守るけどさ、どうして私を中に入らせてくれないのかが一番の疑問だ。
「――いやだから」
そのとき、扉の向こう側からアスタさんの声が聞こえた。それは困っているような口ぶりに思えた。中を覗かせてくれないもどかしさや好奇心から扉に耳を近づけてみる。アスタさんたら、また断り切れないでいるのか。ていうか紳士的なアスタさんが断りたくなるような依頼を持ってくるお客さんもどうかと思うのだけれど。
「その依頼は受けられません」
おお、アスタさんがはっきり言ったよ。アスタさんのこんなにも堂々とした断り方は初めてかもしれない。なんだかんだで受け入れてしまうアスタさんがここまできっぱりと断る依頼って一体どれほどとんでもないのだろうか。
「捨てたのは紛れもなくあんただ。あんたが勝手に探せばいいだろ」
今度はソウヤさんの冷たい言葉が聞こえた。イライラしている模様。お客さんだからといってソウヤさんは態度を変えない。持ってこられた依頼はソウヤさんをイラつかせるほどのものらしい。いやどんな依頼だよマジで。
すると。
「あら、捨てたなんて聞き捨てならないわね」
――知っている、声が。最後に聞いたのはいつだったか。自分に問いかけてみるけれど、答えは見つからない。見つけたくないと脳が拒否している。見つけてたまるもんかと反抗している。
まるで記憶のある部分にだけ黒いマジックで乱雑に塗りつぶされたかのように、見えてこないその答え。いや、塗りつぶしているのは私自身か。
「気づいたときにはいなくなっていたの。昔からそうなのよ、あの子は」
……後悔するなって、こういうことね。がっつり後悔しちゃったよ。どうやら皮肉なことにそのマジックはフリクションだったようで、黒に埋もれた記憶があっという間に、そして鮮明に浮かび上がってきた。
――最悪。
汗が止まらないのはどうしてだろう。足がすくむのはどうしてだろう。身体が震えるのはどうしてだろう。
涙が出るのはどうしてだろう。



