その唇に魔法をかけて、

「あの、深川さん……でしたっけ?」

 ちょうど漆畑の部屋の前まで来ると、専務秘書である牧田の姿が見え、こちらに気が付いて声をかけてきた。

「先程から専務があなたをお探しです」

「あの、先ほどはお呼びに伺えず……」

 怒られるのを覚悟で何度も頭を下げた。そんな姿を見て牧田は眉に皺を寄せるどころか紳士的に優しく笑った。

「あぁ、いいんですよ、別の方がお見えになりましたから、どうかお気になさらず。それに専務はすでに広間からお部屋へ戻られました。あまり大人数の場を好まない方なので……あなたがいなかったので別の仲居に頼んで飲み直し用の酒を運ばせているところです」

 それで自分を呼んでいるということは、陽子が言ったようにお酌の相手をするということだろう。

(どうしよう……お酌なんかしたことないのに)

 友人や父に酒を注ぐのとはわけが違う。ちゃんと、お客様として正しいお酌をしなければならないのだ。

「わかりました、では漆畑様のお部屋へ失礼いたします」

 そうは言ったものの、胸に不安のシミがじわっと広がっていくのがわかった。