その唇に魔法をかけて、

「美貴! 待ってったら! 一体どうしちゃったの?」

「有紗……」

 化粧室に駆け込もうと廊下の角を曲がったその時、後ろから有紗にぐっと腕を掴まれた。その手の冷たさにようやく我に返る。振り向くと、有紗は怪訝な表情で美貴を見据えていた。

「ごめん……」

「なんで謝るのよ? なんか今日の美貴、変だよ?」

 射るようにじっと有紗に見つめられて、見透かすようなその視線にたまらず目を逸らした。
 
 確かに、今日の自分は変だ。いつもなら楽しく過ごしているはずの空間が、逃げ出したいほどに居心地悪くて仕方がなかった。

「何があったの? 亮治さんと楽しそうに話してたじゃない」

「う、うん……そうなんだけど、やっぱり私、あの人苦手みたい」

 その発言が信じられないといったように、有紗は腰に手をあてがってため息をつた。

「はぁ? 何言ってんのよ。ここだけの話、亮治さん前からあんたのこと気に入ってたんだよ? 誕生日のパーティだって開いてくれたじゃん」

 イケメンで金持ちで優しい男に目を掛けてもらってこれ以上の贅沢はない。と、有紗の目はそう語っていた。

「東京に帰ってきなよ、美貴に田舎暮らしは似合わない。私たち、別に今は働かなくったって生活に困らないでしょ? 仕事なんて、したい時にすればいいんだからさ」

「それは違うよ!」

 有紗は昔からこうだ。学生時代にバイトすらしたことがない。働くくらいなら遊んでいたほうがずっと時間を有効に使える。それが彼女の口癖だった。なにかと仲良くしてきたが、心のどこかで有紗のようにはなりたくない。そう思っていた。だから、彼女に言われて思わず声を張って否定してしまった。