思わず言葉が詰まって何も言えなかった。

「……きも」
「……お前なぁっ!ほんっと、生徒会長とは思えねぇな」

余計なお世話だ。
舜の方こそ、副会長とは思えないよ。

「明日の入学式、くれぐれも寝坊しないでよ」

舜は、ここぞという所で寝坊したりしてアクシデントを起こすから心配だ。

「するわけねーだろ、馬鹿」

舜は手をヒラヒラと振りながら、廊下の先に消えて行った。

アイツの言うことは何か信用出来ないんだよなぁ……。



私はとてつもない不安を感じながら校舎を出た。






「ただいまー」

真っ暗な部屋から「お帰り」と聞こえてくることは無い。

今日もまだ帰って来てないんだ……。

2週間前から両親は家を留守にしている。うちの両親は仕事バカだから、こんなのもすっかり慣れっこだ。


私は制服から部屋着に着替えると、冷蔵庫に入れておいた昨夜の夕飯の残りをつまんだ。

料理は好きだけど、やっぱり食べてくれる人がいないと面白味が無い。

それに、生徒会に行って今日は大分疲れていたのだ。
わざわざ1人分の食事を作る気になれなかった。


「舜はまだ部活やってるだろうしなぁ」

実は舜とは家がお隣さん。
家族ぐるみで仲が良いから、時折舜を夕飯に招いたりもするし、その逆だってある。

カーテンを開けて外を見ると、やっぱり舜の部屋に電気はついていなかった。

あのバカが来たら、夕飯の残りをキレイに処理してくれるんだけど……。
今日は無理だろうな。

私は溜息を吐きながら、ほとんど手につけていない肉じゃがを冷蔵庫に入れた。

なんとなくテレビをつけたが面白い番組が全くない。

「……さっすが田舎だよね、番組数少なすぎよ」

私は東京の方から、5年前に引っ越してきた。
ここに来たとき、30分も歩かないとコンビニが無いことに大きなショックを受けたのを覚えている。

それだけ私達の町は田舎だ。
田んぼと畑は飽きる程あるが、娯楽と名のつくモノは何もない。

「暇だなぁ……」

考えたすえに、私はお風呂に入ることにした。


30分も経てば浴槽に湯が溜まった。
ローズの入浴剤を入れてから、私はゆっくりと湯に浸かる。

立ち昇る湯気のせいか、それとも単に疲れがたまっているのか……私の頭は、ぼーっとしてきて。

瞼がゆっくりと閉じたのがわかった。




「っ!」

どれぐらい眠っていたのだろう。
突然目が覚めた。

浴室にあるデジタル時計を見ると、湯に浸かってからもう2時間以上経っている。

でも、そんなことはどうでもいい。

私が気になるのは、ザワザワとした浴室の雰囲気。

体が重くて、息が上手く吸い込めない。


私は直感的に″来る″と思った。

身構えた瞬間、浴室の電気がフッと落ちる。

「……ほんと、止めて欲しいよね…」

逃げたくても、足が震えて全く動かない。
私は浴槽の中で小さく身を縮めた。
目からは今にも涙がこぼれそうだ。

早くーー、ここから出て行ってよ。
お願いーーー。

″誰か″の視線を痛いほど感じる。


パキッ……パキッ……


家鳴りがした。
この状況からして、ただの家鳴りじゃない。
″ラップ音″だ。


その時、フッと電気がついた。

「………よ、よかった…」

思わず安堵の溜息をつく。
一瞬の油断が、その後の恐怖を増大させた。

「僕…なんで?……なんで僕はーーーなの?…… なんで?」

私の目の前に立つ小さな男の子。

頭から流れる大量の血からして、きっと……死んでる。

私は固まって、ただ呆然とするしかない。
首筋から、嫌な汗が流れる。

「…………お姉ちゃん、教えてよ…」

男の子の前髪の隙間から、落ちくぼんだ真っ黒な目が見えた。

「キャァァァァ!!!!」

あまりの恐怖に、思いきり叫ぶ。
この時、初めて体が動いた。

それからはもう、無我夢中で家の外に出た。




「……はぁ…」

家の敷地内から出ると、また溜息が出た。
ーーーもう、家に帰りたくない。


舜の家に逃げ込もうと思っていたのに、まだ明かりがついていない。

舜が部活から帰ってきて、そのまま出かけたのかな……。

側にいて欲しい時に限っていつもいない。
舜は昔からそうだ。

本当に使えないヤツーーー。




私は昔から″幽霊″や″妖″といった類いのモノが見えていた。

でもーー、最近特に酷い気がする。

前は単に見えるだけだったのに、最近は今日のように話かけられたり、つきまとわれたり……。



舜はそんな私の体質を理解してくれていて、打ち明けて以来、何かと相談に乗ってくれる。

ーーーが、正直あまり役に立たない。



「……なんとかしたいものだけど…、どうしようもないもんね…」

私は家の前でしゃがみこんで、途方に暮れていた。

さっきの体験から、自分の家が気持ち悪く見える。

「今日は舜の家に泊めてもらおう……」

とりあえず舜達が帰ってくるまで、リンの家に居座らせてもらえないかな…。

リンとは私の親友のことだ。
私が転校してきた時、真っ先に声をかけてくれてくれた、私の大事な友達。

ダメ元でリンに電話をかけてみることにした。



トゥルル、トゥルル、トゥルル……



ケータイからリンに電話をかけてみたけれどコール音が鳴るばかりで、リンは出ない。


1分間、コール音を鳴らしてみたが結局リンは出なかった。


「……少し、散歩でもしよ…」


何処にも行くあてがない私は、ここから少し離れたコンビニに行くことにした。

舜が帰って来るまでの暇つぶしだ。




春や夏の夜は昔から好きだった。
爽やかな風が頬を撫でて、気持ちいい。

空を見上げれば、黒い空に沢山の星屑が散りばめられている。

私は立ち止まると、ぽっかりと口を開けているかのように大きな空をじっくりと見た。

「綺麗………」

田舎だからこそ見れる景色。



この町には田んぼしかないって思ってたけれど
上を見上げれば、こんなにも素敵なものがあったんだ。


上を見上げながら、私はゆっくりと歩いた。




前をよく見らずに歩いた所為だろうー。


私は、全く知らない場所に足を進めていることに気付かなかったーー。





気付けば見知らぬ場所まで来てしまっていた。

「………どうしよ…」

本当にまずい…。


いつの間にか、田んぼ道にさえ外れてしまって、森に入りかけていた。

私の先には森の木々しかない。


ケータイも圏外になってしまっている。



本当に今日は最高に最悪……。

心細くて、泣いてしまいそうだ。



涙で視界が霞んで、白くぼんやりと見える。

情けなくて、溢れてきた涙を拭った。


「………?」

一瞬、気のせいかと思った。
もう一度、目を擦る。


「あれ………何…?」

気のせいじゃない。
確かに、見える。


木々の隙間から溢れる、白い光がーー。


まるで私を手で招くように揺れている。


それに引き込まれるように、私は森に足を踏み入れた。



なんて美しいんだろうーーー。

私は白い光を掴みたくて、手を伸ばす。

でも光を掴めるわけがない。


私の手は虚しく空を切るだけだった。


森はきらきらと輝き、笑い声を漏らしている。



クスクス……クスクスクス…………



いたるところから聞こえてくる笑い声に不思議と恐怖は感じなかった。


笑い声が私を光の元へと案内してくれているように思える。



獣道を歩いた所為で足は土で汚れてどろどろだ。



でもーーー


そんなこと、どうだっていい。



あと、もう少しでーーーー





いきなり広いところに出た。


そこには、水の透き通った綺麗な川が流れていた。


その川の周りには、淡いピンクの花を咲かせた桜が立つように沢山並んでいる。


桜の花びらの所為で、川はピンク色だった。


川があるからだろう。少し涼しい気がする。


そして不思議なことに、この場所はぼんやりと光っていた。


私が見たのは、この光だったんだーー。



川のせせらぎが心地よく耳にーー、頭にーー、全身に響く。

あまりに気持ちよくて、私は眼を閉じ、耳をそばだてた。




「………人間……?」
「……ッ!?」


突然、背後から聞こえた低い声に体が跳ねる。


振り向くと、綺麗な銀髪が目を引く男の人が立っていた。



綺麗な整った顔、……長い銀髪を束ねている……それに………



全てを吸い込んでしまいそうな、深い翡翠色の瞳ーーー。




直感的に、この人が人間ではないことはわかっていた。


幽霊……?

それとも妖だろうか……。





何を考えても………遅い…………。








私はこの人から、逃げられないーー。








「………お前……俺が見えているだろう…?」

かなり距離があったはずなのに、いつのまにか私の目の前まで迫って来ていた。


息が触れ合うぐらい近い距離。

心臓が早鐘を打つ。



でも、いつも幽霊や妖につきまとわれる時と違って妙に冷静な自分がいた。



「お前の名は?」
「……桜子…」


この人なら…大丈夫かも知れない。


何故か…安心出来る何かがあったーー。




「俺は翡翠。この川を守るカミサマ…」
「………カミサマ?」

思わず聞き返してしまった。


だって、幽霊や妖には散々顔を合わせてるけれどカミサマとは初めて。


「…そうだ。俺は妖などとは違う。桜子には危害は加えない……」
「……本当に?」
「………カミサマの俺を信じないとは…罰当たりな奴だ」


翡翠がふうっ、と溜息を吐く。

「……ごめんなさい、疑って。いつも霊や妖には迷惑してるから……」



昔からずっと、この体質が嫌だった。

こんな体質……無くなればいいのに。


「……確かに…、お前の生気は美味そうだな。霊や妖が集まるわけだ……」


次の瞬間、ぐいっと体を引き寄せられた。

何の香りーー?

甘い、花みたいな香りがするーー。

翡翠の香りは何処か懐かしくて……、頭がぼうっとするーー。


首筋にピリッと痛みが走った。



「……な、何するのよ……!!」


私は慌てて翡翠を突き飛ばすと首元を隠した。

「……俺が何をしたんだ?」

翡翠は納得がいかないというような、そんな顔をしている。

「な、何って………キ、キスマーク……付けたじゃない……」

「……俺はお前を助けてやろうと″まじない″をかけただけだ。

その首元の″桜の花″は1週間はもつだろう。
1週間の間は、見えたとしても妖や霊につきまとわれることはない。」


………なんだろう、この複雑な気持ち……。

翡翠の口振りからして、嘘ではないだろうけど…………。



「………えっと…ありがとう?」
「……まぁ。いいだろう」


翡翠の目がスッと細くなる。

………綺麗な微笑み。




それを見ると、急に緊張が抜けた。



今日は疲れたなぁ………。

明日も入学式があるから、舜を寝坊しないように叩き起こしに行かないと……。




私はゆっくりと、翡翠の胸に顔を埋めて瞼を閉じた。