「瀬波さん、瀬波さん」
風とともに高瀬さんがやって来た。
「どうしました」
「ちょっと来てください」
座っていた姿勢で、白衣の袖を掴まれ立ち上がる。駆け出しそうな勢いに、ゆるく巻かれた髪が揺れる。
「見せたいものがあるの」
言葉とともに、とびきりの笑顔で笑いかけてくれる。
それが、あまりにも綺麗で、眩しい気がして、目を細める。
「それは 楽しみですね」
それが何かなんて事よりも、彼女がこんなに笑っていることのほうが、ずっと嬉しい。
自分に何か見せたくて、走ってきてくれたことが嬉しい。
「早くいきましょう」
自然に手を引かれて、歩き出す。彼女と小さな手を繋ぐだけで、どれほど自分が幸せになるのか…
きっと あなたは知らない。
振り向いて、話しながら歩くのを見ながら、後からついて行くのも悪くない。
だらしなくなりそうな口元は、上向きになっている。
「いいですか。よーく見ていて下さい」
玄関さきにある植木鉢に手をかけて彼女が言う。
「いち…にの………さんっ」
植木鉢の下からは、だんごむしが溢れ出てきた。
急に植木鉢が取り去られたので、皆慌てて散り散りに逃げ惑っている。
彼女の目が、何か期待するようにこちらを見ている。
「だんごむしは好きですか」
「そうですね。かわいいです」
心の中で、あなたのほうが、と付け加える。思わず口元がほころぶ。
「だんごむしはどんな虫ですか」
「正しくは昆虫ではありません。エビやカニなどの甲殻類の仲間になります。少しの間なら水に落ちても大丈夫ですよ」
「泳ぐんですか」
「あれを泳ぐというなら、そうかもしれません。食べ物は枯れ草や昆虫の死骸、新聞紙や段ボール、変わった所ではコンクリートや石も食べます。だから野原より人間の側のほうに多く見られます」
「コンクリートを食べるなんて不思議ですね」
「ええ。何か成長に必要な栄養が含まれているようです」
屈み込んでだんごむしを見つめる彼女は、今ここでコンクリートを食べないかと待っているようだ。
「背中に黄色い筋が入ったのがメスです。お腹の袋に赤ちゃんを入れて育てます」
指先でひっくり返すと、ちょうど赤ちゃんだんごむしをお腹に抱えていた。軽く押さえて彼女に見せる。
「たくさんいますね」
にこっと彼女が笑う。こちらも笑い返しながら、彼女の反応に安堵する。普通なら出る言葉を彼女から聞かないことに、彼女が愛おしくなる。自分と同じ物の見方、感じかたが出来る女性は今までいなかった。
「だんごむしは脱皮しながら少しづつ成長します。一日目に後ろ半分、二日目には前半分と二回に分けて脱皮します。脱皮した殻は栄養があるので食べてしまいます」
「食欲旺盛なんですね。何でも食べちゃいますね」
「庭の掃除屋と言われています」
お互いの目に自分の姿を見つける。
何もしなくても、何もなくても彼女さえ居たなら、自分は幸せでいられるだろう。
確かにそう思える。
「……戻りましょうか」
もじもじと彼女が身じろぎする。玄関先で座り込んでいることに気づいて、人の出入りが気になったようだ。
立ち上がった彼女へ、腕を差し出すと、目を丸くして僕を見る。
「立ち上がらせてくれないのですか」
「……しません。さっきは緊急事態だったから、です」
みるみるうちに頬が赤く染まっていく。学校内で手をつないだことは今までなかった。
立ち上がると彼女の手を取り指を絡ませる。力を入れると彼女も握り返してくれた。
「戻りましょう」
彼女の耳元で囁く。
「可愛いいです。ここではキスできませんから」
言ってから、髪にキスする。耳まで赤くなった彼女の手をひいて歩き出した。