事務所に着くなり透は驚いた。
ここに入社して以来、自分よりも早く五十嵐が出社していたことなど一度もなかったのに所長席に深く腰掛けニヤニヤと透の出社を待っていたのだ。
「お…おはようございます。」
透の挨拶に返すことなく、五十嵐は席を立ち透の隣にやって来た。
「で、どうなったのかな?透くん。」
そう言って五十嵐は透の肩に手を置いた。
「なにがですか?」
透はとりあえずとぼけてみた。
「舞から電話あったんやろ?」
五十嵐の声がニアニアしながら話しているのが見えてなくても透はわかった。
「はい…ありましたよ。…今度の日曜、映画行く事になりました。」
透は隠しておくことなんて出来ないと思い、諦めて白状するように話した。
「そうかそうか!!」
五十嵐は透の背中を数回バンバンと叩き、自分の事のように喜んだ。
「映画なんですが、昼からで終わるのって夕方ぐらいだと思うんですが…夕食は誘っていいんですかね?」
五十嵐のおおらかさに自然と質問をしていた。
「ええんとちゃうか。舞もその方が嬉しいやろ。…それよか、付き合いたいんなら、早う告白しろよ。男から言わなアカンからな!」
そう言うと力一杯、透の背中を叩いた。
透は少し咳き込むと背中の痛さがジンジンとしたが、五十嵐の優しさの方が嬉しかった。

またチカチカと目の前が色付いた。
最近、毎日のように世界が色付いている。
驚く事に昨夜、舞と電話をしてからおかしい。
家に居る間、世界は色をなくさなかった。
家を出てここに来るまでは白黒になったのに、今また色を持ち始めた。

その日は一度も元に戻ることなく、世界はカラフルで、透はこんなにも綺麗なんだと思えた。
仕事終わりで買い物に出掛けたが、色とりどりの服に目眩すら覚えた。
世界はこんなにも色に満ち溢れていたんだと思えた。
問題なく服は選び終えた。
本屋に寄り、最近何が流行っているのか知る為に情報誌を数冊購入した。
イタリアンにフレンチ…焼肉や韓国料理…あの子は一体何が好きなんだろうと、家のリビングには数冊の情報誌を広げ頭の中を埋め尽くしていた。
こんなにも心が弾んでいるのは透にとって初めてのことだった。
透は終始、和かに情報誌を見ていた。
不意に視線を感じた。
隣に目をやる。
大きな姿見の鏡に自分自身が映った。
途端に世界が色をなくした。
鏡の中の自分と目が合う。
鏡の中の自分が動き出す。
『楽しそうだな?』
鏡の透はにやりと口元を歪めた。
『お前が恋愛?いいのか?』
「うるさいっ!!!」
手にしていた情報誌を投げ付けた。
鏡の中の透が姿を消した。
雨の音が聞こえ出す。
白黒の世界で、足元に赤い血だまりが広がる。
透は耳を塞ぎ、力一杯目を閉じ座り込んだ。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい。」
何度も何度も繰り返した。
殺人者となった、あの日から何度も見てきた幻覚や、聞こえる幻聴。
その度に透はただ何度も謝り後悔の渦に飲み込まれきた。
少し幸せだと感じると決まって出てきてしまう。
だからこそ、その幸せを避けてきた。
自分は幸せになる資格がないのだと…。
けれど、今度はどんなことをしてでも、この幸せは手離したくなかった。
望んではいけないとわかっていても今度は幸せになりたいと願っている。
舞と二人で笑って生きて行きたいと思ってしまった。
舞と二人で手を繋ぎ未来を歩いて行きたいと願ってしまった。
ただ、そばにいたい。
ただ舞の笑顔を見ていた。
自分勝手だけど、今度はこの幸せを手に入れたかった。
透は頭の中の記憶を消すように眠りについた。