愛してはならない。

目を開けると、いつもと同じ自分の部屋の天井があった。
体を少し起こすと、自分の部屋で、自分のベッドにいた。
自分の手を握りしめて寝ている舞に気付く。
よく見ると涙の跡がある。
こんな自分を心配して泣いたのかと思うと、たまらなく胸が苦しくなった。
「おぉ起きたか?!」
顔を上げると、五十嵐が片手に水の入ったコップを持ってやって来た。
「五十嵐さん…。」
「昨夜、舞から電話あって、行ってみたらお前えらい熱出て倒れてるし、舞が家にって言うから、お前担いで来たんや。」
「すみません。ご迷惑をおかけして…。」
透は座り五十嵐からコップを受け取り一口水を飲んだ。
「で、お前らなんかあったんか?」
「いえ…なにも…。」
透は五十嵐を直視出来なかった。
「言いたくないなら別に言わんでもええ。でも舞を泣かすなよ。」
「はい…。」
「ほな、今日は欠勤扱いにしとくから、ゆっくり休め。俺はもう行くからな。」
そう言って五十嵐は立ち上がった。
「あの…舞のお父さんって…事故で亡くなったんですか?」
「あぁ拓の事か…あいつは殺されたんや!」
五十嵐の顔が憎悪で歪んだ。
「すっごい雨の日やった。舞の母親が入院しててな、それを見舞った帰りやったみたいや。もともと俺と同じ大阪で住んどったんやけど、仕事の関係で東京に行って一ヶ月も経たん時やった。電話あった時は足から崩れたわ。拓が殺された!死んだ!って電話でみかさが泣くんや。拓とみかさは小学からの幼馴染みでな、俺にとって妹みたいなもんやったから、拓と結婚が決まった時はそりゃ飛び上がる程喜んだわ。その、みかさが電話口で叫び泣いてて…今でも耳に残っとる。すぐに車走らせて東京に着いた時には、舞が一人で病院の廊下に座ってた。ショックでみかさは倒れてもうてな…。みかさは幼い時に両親亡くしてて舞を見る人間がいてなくてな…大阪に帰って来いと言ったんやけど、犯人が捕まるまでは離れたくないって言う事聞かんかった。精神的にも体力的にも無理したんか、その時腹にいた子供は流れてもうた。」
透は全身を強張らせた。
自分が奪った命は五十嵐 拓だけじゃない。
小さな命も奪ってしまっていた。
「もうみかさは舞の面倒をみれるほどの気力がなくなってしもうてな…しゃーなしに俺は東京に出てきた。舞とみかさは俺が拓の分まで守らなあかんと思ってな。」
「犯人は…捕まったんですか?」
「いや12年経った今も捕まってない。」
「でも舞が見てたんじゃ?」
当時の幼い舞と赤い傘を思い出す。
「なんや、聞いてないんか?」
「えっなにを?」
驚いて見せる五十嵐の表情に透は戸惑った。
「舞は14歳まで目が見えてないんや。」
「えっ?」
「生まれた時から弱視でな、拓が殺された時舞の視力は皆無に等しくて聞いても黙って首を横に振るばっかりやった。」
「そんな…。」
透は五十嵐に見えない様に両手で顔を隠した。
口元が歪む。
目撃者が居ないのなら自分がどうこうなる心配がなくなった。
可笑しくてたまらない。
笑いを堪えて涙が出る。
「お前がそんな気落とさんでもええ。お前がすることは舞を幸せにすることや。舞が幸せになれば、おのずとみかさも幸せになるんやから。」
「はい。」
「ほな、帰るわ。ゆっくり休めよ。」
「ありがとうございました。」
「おう!ほな。」
廊下を歩いて玄関から出て行く音がする。
透は堪えきれず笑った。
「なんだ…舞は僕を知らないんだ…。」
横に置かれた姿見に自分の姿が映る。
『悪魔だな。』
「お前に言われたくないよ。」
透は寝ている舞に目をやり優しく頭を撫でた。
「舞…僕は君を愛してる。」
さっきとは違う涙が零れた。
舞の寝顔を見てると愛おしさに胸がいっぱいになる。
きっとあの人もこんな寝顔を見たかっただろうと思った。
自分が奪った命…。
そんな事何度も思った。
何度も何度も何度も自分を責めた。
でも僕は自首するという選択肢を排除したんだ。
幸せになろうと、幸せになりたいと願った。
そしてここまで生きてきた。
舞と出会い、愛を知ったのは頑張ってきた自分へ神様が許しでくれた幸せなんだと思っていた。
なのに、あの人の娘とわかって、あぁやっぱり神様は僕を許していないと叩き付けられた気持ちになった。
でも、舞はあの日僕を見ていなかった。
僕を知らなかったんだ。
僕は舞と生きていきたい。
あの人の為にも僕が幸せにしたい。

「う…うん。」
目を擦りながら舞が目を覚ました。
「舞、おはよう。」
「深海さん!?起きたの?大丈夫?どこか痛くない?何があったの??」
舞は透に詰め寄った。
「待って待って…僕は大丈夫だから。ちょっと目眩しただけだったんだ。でも、どうしてあそこに?」
「別れた後すぐにあの雨だったから、心配で追いかけたの。じゃ倒れてるんだもん…。」
思い出したのか今にも泣きそうになっている。
「ごめん…その先は五十嵐さんに聞いた。さっき帰ったんだ。」
「うん…叔父さんに電話して助けてもらった。私一人じゃ運べないし。」
「そうだな、ありがとう。」
透は舞を引き寄せた。
「五十嵐さんから聞いたんだ。君のお父さんのこと…辛かったよね。」
「もう叔父さん言ったの?!気にしないで…本当にあんまり記憶ないの…。」
透の腕の中で舞は言った。
「それと舞って子供の頃…」
「あぁそれも聞いたんだ。」
舞は顔を透に向けた。
「生まれた時から弱視だったみたいで14歳まで視覚障がいだったの。手術で見えるようになったんだけど…あの時勇気出して手術してよかったなって今は思ってる…だって深海さんの顔見てられるんだもん。」
透は舞を抱きしめた。
舞も透の腕を強く掴んだ。
「深海さん、今日もう帰るね。今からなら3限目には間に合うだろうし。」
「そっか、そうだね。ありがとう。気をつけて帰って…また連絡して。」
舞はベッドをおりて鞄を持った。
透もベッドから出ようとしたが舞が止めた。
「いいよ。寝てて。」
「いや、玄関まで送る。」
玄関まで歩く。
サイドのライトが足元を照らす。
「鍵…。」
「えっ?」
「昨夜鍵開ける時深海さんのポケットから鍵出したんだけど…。」
「うん。」
後ろ姿の舞の表情がわからない。
「鍵についてる木の鈴…珍しいね?」
「あぁうん…子供の時おばあちゃんがくれたんだ。」
「ずっとつけてるの?」
肌を逆撫でされてる気がしてゾッとする。
「うん…そうだけど…?」
「…かわいいから、女の人からもらったのかと思って不安になっちゃった。」
クルッと振り返りペロッと舌を出した。
思い過ごしだったのかと、透は胸を撫で下ろした。
「心配しなくていいよ。僕には舞しかいないから。」
「うん。じゃまたね。」
舞がドアを出て行く。
そっと息を潜め透はドアスコープから舞を見た。
舞が小さくなって行き廊下の先を曲がり見えなくなった。
思い過ごしだった…?
一瞬ゾッとしたのは僕の勘違い?
でもなんで鈴なんて……本当に舞が言ってただけの理由なのか?
熱のせいか頭がまだ少しボーッとする。
思考がうまく回ってくれない。
透はまたベッドに勢いよく転がり天井を見た。
心配することはない。
舞は見えてなかっ……いや、聞こえてはいた…。
じゃあの鈴の音を聞いていたとしてもおかしくはない。
でも鈴の音なんていくらでもあるじゃないか。
透は考え過ぎだと頭を振った。
そして目を閉じ、そのまま眠りに着いた。