舞の家は幾度となく送り迎えの時に見てきたけれど、こんな立派な家に母子だけだなんて透は思ってもみなかった。
きっと厳格な父親が居てるのだと思っていたからだ。
「毎回思ってたんだけど、立派な家だよね。」
門を入ったところで、素直な意見を口にした。
「あぁ父親が弁護士さんだったんだって。で、結婚の時に、この家を買ったって、お母さんが言ってた。」
「そうなんだ…。」
階段を数段上ると大きな扉がある。
舞がインターホンを押すと、映ってる二人を見たのか向こう側の女性が少し驚いた声で出た。
すると、すぐに扉の向こうから慌てた足音が聞こえ扉が開いた。
「舞っ!連れて来るなら先に言ってよ!」
「ごめん。急に決まって…。」
舞の言葉を最後まで聞くことなく女性は透を見上げニコリと微笑んだ。
「はじめまして。舞さんとお付き合いをさせていただいてます深海 透といいます。」
「はじめまして。舞の母です。さっ取り敢えず入って。」
家に入ると二階まで吹き抜けになっている玄関で、入ってくる西日が眩しかった。
通されたリビングにはコーナーソファーがあり、ゆったりとした空間だった。
舞の母親は透に座るように促すとキッチンに向かい「コーヒーでいい?」と言って用意し始めた。
透はソファーに腰掛けると部屋の隅に仏壇が置かれてるのに築いた。
透は再び立ち上がり、仏壇の前に座り手を合わせた。
仏壇の中には二つの位牌があった。
「ありがとう。」
舞がそう言って透の横に座った。
「位牌なんで二つあるの?」
「う…ん。生まれてこなかった兄弟。」
「えっ?」
「お父さんが死んじゃった時、お母さんのお腹に赤ちゃんがいたんだけど、流産しちゃったんだって。」
「そうなの?」
「うん。」
「ごめん。辛い事聞いて…。」
「いいのよ。過去のことなんだから。」
二人のすぐ後ろに母親が立っていた。
「お母さん…。」
「コーヒー淹れたから、さっ移動移動。」
舞の母親は底抜けに明るく無邪気さもある女性だと思った。
けれど、女手一つでは大変だったに違いないと透は思った。
ソファーに座ると、母親からの質問攻めが始まった。
何処で知り合ったとか、どちらから告白したのとか…まるで母親というより舞と年の離れた姉妹のようだった。
舞が表情豊かな理由がわかった気がした。
「深海さん晩御飯食べていくでしょ?」
「えっいや、今日は挨拶だけと思ったので、そろそろ…。」
透は立ち上がろうとしたが、それを舞が止めた。
「いいじゃん。食べて帰って!いつも二人っきりだから増えると楽しいし…。」
そう言われて透は母親の申し出を受ける事にした。
「じゃお言葉に甘えて。」
その言葉を聞いて母親は笑顔になった。
「じゃ今日は奮発してお寿司とちゃいます!」
「やったぁ。」
舞は子供の様にはしゃぎ母親の元に近寄った。
出前のチラシを見て、あれは?これは?と選ぶ二人を見て透は家族って温かいものなんだと思った。
透にはその光景は経験したことのないものだったから。
透の中で芽生えていた舞との将来を現実の物にしたいと思い始めた。
「御母さん!!」
透は急に立ち上がり大きな声を出した。
その声に二人は驚きを見せた。
「はい!?」
「舞さんの気持ちはまだわかりませんが、舞さんの卒業を待って結婚したいと思っています。」
透の急なプロポーズの様な言葉に舞は両手で口を押さえて驚き目に涙を浮かべた。
「そう…舞は幸せになりそうね。不束な娘ですが、よろしくお願いします。」
舞の母親は深く頭を下げた。
「はい!!」
透もまた深く頭を下げた。
「特上頼まなきゃいけないわね。」
そう言って母親は電話を手に取った。
舞は透に抱きつき顔上げ、透に何度も「ありがとう。」と言った。

一時間ほどで出前が届き食べ終わる頃には21時を過ぎていた。

「はぁお腹いっぱい!あっ深海さん私の部屋にきませんか?」
透は舞に誘われ二階の舞の部屋に入った。
そこは自分のモノトーンの部屋とは違い色鮮やか部屋だった。
カーテンは淡いピンクで壁には写真が幾つも貼られていて、舞の色んな表情がそこにあった。
「もうっあんまりジロジロ見ないでよ!」
「あっごめんごめん。女の子の部屋って初めてだから、つい…。」
舞は自分が初めてなんだと嬉しくなった。
「写真いっぱいだね…これは?」
一枚の写真を指差して聞いた。
「高校の友達。」
「じゃこれは?」
「それは小学校からの友達。」
「じゃ…」
「もう、こっち来て。」
舞は自分が座っていた隣に座るように促した。
透が座ると一冊のアルバムを舞が見せた。
ページをめくりながら説明する舞に透はふと疑問を感じた。
さっきから見ている写真のどれもが最近の物ばかりで幼い舞がそこに居ない。
「あのさ…。」
透はページをめくろうとしていた舞の手を止めた。
「なに?」
「舞の子供の頃の写真はないの?お父さんの写真もないし…。」
舞は黙って俯いてしまった。
「ごめん。悪気はないんだ。素直に小さな舞も見たいなって思っただけなんだ。」
透は慌てて弁解した。
すると舞はスッと立ち上がり机に向かうと引出しから一枚の写真を手に取った。
舞は黙ったまま透の元に戻り、その写真を差し出した。
裏返しにされた写真を手に取った。
「この一枚だけなの…お母さんが辛いからって処分したみたいで…。」
そう聞いて透は自分が思ってた以上に二人の傷は深いものなのかもしれないと思った。
透はゆっくりと写真を裏返していく。

透は全身から力が抜けそうになった。
血の気が引いて行くのがわかる。
一気に世界から色がなくなり、昔の白黒の世界へと変わっていく。
『ほら、言っただろ。お前は幸せになんてなれない。』
耳元でもう一人の自分が囁く。
手が震えだす。
汗が額を伝い頬に流れていく。
「これが…舞の…お父さん?」
「うん、私が4歳か5歳くらいだと思う。」
透は必死に平常心を保とうと思った。
そうでもしないと今にも大声で叫びそうだったからだ。
写真にはくちゃくちゃにした笑顔の舞と、その舞を思いっ切り抱きしめ頬を寄せる父親がいた。
透はその父親の顔を知っていた。
あの雨の日から一度も忘れたことのない顔。
自分が殺した五十嵐 拓がそこにいた。
まさか自分がやっと愛を知った相手が、自分が殺した人の娘だと思いもしなかった。
「深海さん?どうしたの?顔色悪いけど…大丈夫?」
舞は透から写真を取り引出しにしまった。
「うん、大丈夫。なんともないから。」
「そう?ならいいけど…。」
「そろそろ帰るよ。明日も早いから。」
そう言って透は立ち上がり部屋を出た。
後を追うように舞も部屋を出る。
階段を下りて行くのが足元がふらつく。
「お母さ〜ん、深海さん帰るって。」
舞が階段から一階にいる母親に声をかけた。
舞の声に気づきリビングから母親が出てきた。
「そうね、こんな時間だもんね。深海さんまた、いつでもいらしてね。」
玄関で靴を履く透の背後で母親が言った。
「はい、今夜はご馳走様でした。」
向き直ると透は笑顔でそう言った。
玄関を開けるとどんよりとした雲が空を埋め尽くしていた。
「やだ…雨降りそう…。深海さんこれ持って行って。」
舞が傘を差し出した。
「いや、大丈夫。」
透はその傘をそっと押し戻した。
「気をつけて帰ってね。」
「あぁ。じゃ失礼します。」
玄関を出て外に出た。
「門まで送る。」
そう言って舞も外に出た。
「いや、ここでいいよ。」
「う〜ん、わかった。」
少しふくれたように言う舞が可愛かった。
そっと透は舞の頬に触れた。
舞は静かに目を閉じた。
透の中でドロッとした感情が流れ出す。
このまま舞の首を絞めてしまおうかと考えた。
この子はあの雨の日、自分を見ている。
いつ何をきっかけに思い出してしまうか、自分をあの時の少年だと気付いてしまうのか…そうなる前に……。
ゆっくりと頬から首に手を滑らせた。
このまま殺して、母親も殺してしまうか?
ダメだそんな事、自分には出来ない。
透は舞のおでこにそっとキスをした。
そして舞が何かを口にする前に足早に門をくぐった。