「行こう、氷紀!」


水無月は姿を顕現させ、こくりと頷く。

蔵の中に入れば入るほど、邪気は濃くなっていった。


「どこにあるのかすぐ分かるね。すごく親切だ」


そう皮肉りながらも、水無月はひっきりなしに飛んでくる邪気を華麗に避けつつ手を翻して包んでいく。

ふわふわと浮かぶ姿はシャボン玉さながらだが、中に墨汁のようなものが入っているのは気味が悪かった。


「うえ。露李、大丈夫?」


「うん…でも、すっごく悲しい気分」


「心を落ち着けて。扉を閉めないでおく?」


「…ううん。ほら、見て」


露李が扉近くの球を指差す。

奇妙な動きをしていた。


「たぶん出ようとしてる。あれをこれ以上外に出すわけにいかないよ──皆が対処に困る前に、終わらせなきゃ」


「分かったちゃっちゃと終わらせよう。…朱雀!」


水無月が叫び、扉が閉められた。

元は真っ暗だったが、自分達が出す光で道が照らされていた。




いくつも球を造り──花霞に辿り着く。




露李の髪が銀に、瞳が金に染まった。

水無月も目を開けていられないような輝きを纏った彼女がそこにいた。


【女だ……あの女がきた】


【花姫……花姫だ】


【花姫…………喰いたい、喰いたい喰いたい喰いたい】


直接頭に響いてくる声に、水無月は顔をしかめた。

しかし露李の表情は小揺るぎもしない。


そして、邪気をものともせずにその弓に触れた。


「【解錠】」


その瞬間、恐ろしい量の禍々しい光と念が溢れ出る。

髪が揺れ、地響きがした。


黒い光が天井を突き破り、空へ放たれる。

しかしそれが何かに跳ね返され戻ってくるのを感じ、露李は笑みを浮かべた。


守護者たちの力が働いている。


そして、それが自分に向かってくるのを微笑みながら眺めた。


「私は──私は花姫じゃない……!」


そう呟き──目を閉じた。

黒い光が自分の胸を貫き、一斉に球が引き寄せられるのが分かった。

地に膝をつく。

痛かった。

痛かったが、叫びはしなかった。


襲ってきたのは、途方もなく深い悲しみだった。


【霧氷様…どうして貴方はあんなことをしたの…?】


【花姫、貴女をずっと】


【花姫、君を守りたかった…………】



悲しい、悲しいと訴えてくる。

しかし次に襲ってきたのは激しい恨みだった。


【お前だ、お前が霧氷様を殺した!!お前が!!】


【お前がいたせいで!!】


【お前が…!どうして生きて……!】



意識を奪われてはいけない。

閉じていた瞼を開く。


──私は、花姫じゃない。


「私は、花姫じゃない!」


立ち上がり、己を取り巻く黒を見つめた。

人の形をとっているものがあった。


「…霧氷さん」


黒の中でも、かすかに赤がちらついていた。


【ようやく、皆を解放できる。──助けてやってくれ】


霧氷が弱々しく微笑んだ。


【私のせいで月草の子孫や他の者が皆、悪鬼になってしまった───】


「大丈夫です」


そう言った瞬間。


──霧氷様。


自分ではない女の声がした気がした。


【貴女は…花姫によく似ている──】


「…同じですけど、私は露李です」


彼と共に、自分の中の花姫も消さなければならない。


【…ありがとう、露李姫】


彼の頬に涙が伝った。

露李の目からも涙が溢れた。


「さよなら、霧氷さん」


霧氷が笑った気がした。