でもね、と彼女は続ける。
そしてまた息をついた途端、露李の目の前に朱音の顔があった。
普通でない身のこなしに思わず距離をとろうとすると、恐ろしい力で顎を掴まれる。
広がった鉄の味に、口の中のどこかが切れたのだと分かった。
「何を……!」
「うふふ、でも私、こんな世界滅びてしまえば良いと思いますの。素敵ではありませんこと?」
きらきらと瞬く目に似合わない物騒な言葉が紡がれた。
「あんまり傲慢な方ばかりなんですもの。でも、今のこの世の中は人間ばかりでしょう?それでしたら一掃してしまえば良いと思いますのよ。純粋な鬼だけを残して消え去れば良いではありませんか?所詮、取るに足らない命ですわ」
ぐぐ、と顎を掴む手に力が込められる。
痛みと怒りで露李の顔が歪んだ。
「離して、下さいっ!!」
渾身の力で抜け出し、一際大きく距離をとる。
「あら、案外やりますわね。でも、どうしますの?私は諦めませんわよ。貴女なしでは滅ぼすことができませんもの」
「私は滅ぼすつもりなどありません!それをお望みならご自分でなさって下さい、私はそれを阻止するだけです!」
「うふふ、おかしいですわ。それだけの力を持っていながら、使いたくなんて。私が何のために貴女に大きな力を与えたと思っていらっしゃいますの?」
心から面白そうに言われては何の返しようもない。
露李はただ眉を寄せた。
朱音がすっと白い人差し指を露李に向ける。
「吸収の力。それは私が授けたものですの」
──同族殺し
全ての不運の元凶とも言えるそれが、“神”によってもたらされたものだというのか。
あまりにもそれは理不尽で、悲しくて、おかしかった。
「貴女は私が創り出した特異な存在。この世界に干渉することができないという神影の理を破り、それでも私は貴女を願ったのです。いずれ全てを破壊する、奇跡の存在を」
「そんな、私は───」
「でも私、力を与える時期が早すぎましたの。あんな赤子の頃に力を与えてはいけませんでしたわね。貴女、お腹が空いたときに自分の家族の妖力から生気から全部吸ってしまわれて」
困りましたわ、と。
まるで本当に些細な、例えば、夕食の献立に悩んでいるような調子で。
「でもそれも運命でしたわね。貴女とっても強く育って。力を抑えられないほど強くなるとは思いませんでしたわ。ねえ、ほら。こんなところに貴女の存在意義がありますのよ」
「私の、存在意義?」
「貴女が全てを消し去り、記憶も飲み込んでしまえば。花霞も何もかも無かったことになりますのよ。貴女はそれほどの力を持っていますの。だって私が力を注いだんですから」
頭が、痛い。
「元は存在しない貴女を創り出すのは本当に大変でしたわ」
「私は、存在しない?私は夏焼の者で……っ」
「そうですわよ。輪廻から引っ張り出してきた魂が、花姫のものでしたの。でも既に花姫の生まれ変わりとも呼べる人物は存在していましたのよ。誰かお分かりになって?」
誰が。
そう考えるまでもなく、露李は俯いた。
──君と俺は、半分なんだよ
「────氷紀兄様……」
「うふふ、正解ですわ。ですから、彼を秋篠へ移しましたの。そうして干渉したせいで、露李姫。私の髪はずっと黒いまま。真の姿に変化しても、麗しい銀にはなりませんの」
「どうしてそこまで……その理を覆してまで、どうして滅ぼそうとなさるんですか!」
「憎いんですの。いつの世も殺戮が好きな人間たちが。慈悲を施していた花姫は人里に下り殺されかけ、急死に一生を得ました。けれど霧氷はそれが許せなかった。そして人民を誘導したのは花姫の兄でしたわ。彼も花姫より自分の命をとったのです。人間などを恐れて」
朱音の声が怒りに震えていた。
「でも、そんな人ばかりではないわ!」
「分かりませんわ。一人はいるかもしれないではありませんか。でしたら根絶やしにするのが一番良いのではなくて?」
「それが、本当に幸福な道だとお思いですか?」
「──あら、露李姫。案外鈍いですわね……私、もうどうだって良いんですの。多くの人より、私と少数が幸せであれば」
「秋雨さんのお仲間は少しだけ力のある人間です。それでも皆が幸福になるとお思いですか」
露李の声が煩わしくなったのか、朱音の顔が歪む。
「──どうして、私の愛を受け取ってくれないんですの」
「愛?」
突拍子もない言葉に鸚鵡返しになる露李。


