露李の目が、ゆっくりと見開かれる。

泣くな。

私に泣く権利なんか無い。

そう思うのに、どうにも視界が滲む。

露李の意思に反して結の翡翠が滲んでいく。


「俺が何とかする。だからもう、俺達に踏み込もうとす
るな」


徐々に離れていく結の靴音が書庫にこだました。


「露李先輩」


静がおずおずと声をかける。


「ごめん…」


俯いた露李から返ってきたのはそれだけだった。

その場に立ち尽くし、微動だにしない。

静はしばらく言葉を探したが暗い表情で書庫から立ち去った。

文月が沈痛な面持ちでそれに続く。


「悪いな、露李」


理津も目を伏せたまま書庫を後にした。


「露李」


疾風の声に、ピクリと反応した。


「どうしたの、疾風」


もう無駄だと知っていても努めて明るい声を出す。

そうでもしないと、疾風はここを動かない。


「…ごめんな。アイツのところに、行かなきゃならない」


後輩としてじゃない、幼馴染みとして。

一つ年上の彼の元へ。


「分かってる。ほら早く行きなよ。…大丈夫だから」


顔を上げて疾風を見る。

案の定、困った顔をしている。


「ごめんな」


それだけを残して、疾風は走って書庫を出て行った。

薄暗い、だだっ広い空間に一人。

へにゃりと崩れ落ちた膝の上に滴が落ちた。

一滴また一滴と水がスカートを濡らしていく。


「やっぱり、駄目なのかな…」

誰かと笑い合うのは。

誰かを笑顔にするのは。

私はいつも奪ってばかりだ。

人生まで奪っている自分に、一体何が言えようか。

でもどうしても、失いたくない。

次から次へと落ちる涙に歯止めなど効かない。 

誰もいないのを良いことに出てくる水にほとほと呆れる。

誰も救えない、誰かを苦しめるだけの存在がまさに自分だ。

苦しめる、だなんてまだ甘ったるい。

自分が─自分という存在が彼らの枷なのだ。

花霞がなければ。

風花姫なんて居なければ。

考えても栓無きことがひたすらに浮かび、それをまた嘲笑する。

ずっと憎かった。

自分が、この世が、周りが。 

部屋を一歩出れば向けられる嫉妬や恨みの視線。

いつもいつも薄い笑顔を貼り付けて、「お母様」の恥にならないように頑張って。

何も知らなかった。

どうやったら友達になれるのか、どうやったら話しかけてくれるのか。

そんなことばかり考えていた幼い頃。

それは自分に否があった訳ではないと知るのが遅すぎた。

神影本家の血筋、開花しない力。

もう存在自体が一族の穢れや憎しみなのだと気づいたときには。

そうやって誰も信じずに生きてきた。

誰かのために泣いたり笑ったり、そんな行為は虫酸が走るほど大嫌いだった。

表面上だけのものだと思っていた。


そんな自分を、無条件で受け入れてくれたのが守護者たちだったのだ。

汚い感情にまみれた自分を。

驚くほど早くに打ち解けて、笑顔を向けてくれた。

それがどれだけ嬉しかったか。


でも、そんな自分が結局彼らを殺してしまう。

生きる価値もないのに、命を奪ってしまう。


露李はただ瞳には涙を、口元には笑みを浮かべていた。