アキオ・トライシクル~心理学入門編~

 やがて熱が、彰夫の頭を麻痺させてきた。覚醒と睡眠の狭間を笹船のように漂いながら、ついに浮力を失い、夢と現実が混沌とした濃度の濃い海の中を、ゆっくりと沈んでいく。やがて彰夫は、海底にマグマの噴出する開口を発見した。赤く染まった開口部から発せられる熱で、周りの水が瞬時に気泡となって上昇していく。その熱が離れている自分にも伝わってきた。浮き上がらなければ…。しかし、もがけばもがくほど、身体は海底のマグマの開口部へ向けて沈んでいく。いよいよ熱が肌を焦がすほどの距離まで沈み、ほどなくすれば立ち昇る水蒸気と同様に、彰夫の身体もマグマの熱で気泡となって、跡形もなくなるだろう。力も尽きて動けなくなった彰夫は覚悟を決めた。
 その時、彰夫の腕を掴むものがいた。彰夫の身体は力強くぐいぐいと引き上げられ、マグマから遠ざかっていく。彰夫は自分の腕を掴むものを見た。美しい人魚だった。人魚は見た目に反して凶暴だと言われている。繁殖期になると、人間の男の血肉を喰らって、子を産むそうだ。彰夫は助かったのか、それとも新たな危機に遭遇しているのかわからなかった。人魚は自らの尾ひれを力強く躍動させて、彰夫を水面へと引き上げていく。光に満ちた水面へ出た人魚は、彰夫を岸の岩辺へと運び横たえた。
「水をください。」
 彰夫が残された力を振り絞って人魚に言うと、人魚は海水を口に含み、自らの口で優しく彰夫の口に移してくれた。海水は不思議なことに真水に変わっていた。映画『パイレーツオブカリビアン』では、確か人魚にキスをされた宣教師がすべてを捨てて、彼女の世界に潜って行くんだっけ…。人魚の柔らかい口唇を感じながら、彰夫はそんなことを考えていた。唇を離した人魚の顔を見た。そのあまりにも美しく優しいその眼差しの中にある瞳は、黒いダイヤのように輝いていた。

 朝の光を感じて、彰夫が穏やかに眼を覚ました。
「彰夫さん、おはよう。」
 ベッドのそばで、好美が彰夫の身体から抜いた体温計を見つめていた。
「もう熱は下がったみたいですよ。」
 好美は枕元に持ってきたオレンジジュースにストローを指し、彰夫の口元にそえた。彰夫は好美の心遣いが嬉しかった。テルミが何時に帰って来たか知らないが、その後好美が熱心に看護してくれたのだろう。
「でも、少し熱が下がったからって外をうろついちゃだめですよ。」