凪の海

 修学旅行から帰ったミチエは、また忙しい毎日に忙殺される。その後、2週間ほどして泰滋から手紙が届いた。泰滋からの手紙を手にミチエの顔に自然と笑みが湧き出る。ミチエは京都で会えなかったことで、気まずくなり、もう手紙が送られてこないのではと心配していたが、また手紙が再開されたことが嬉しかったのだ。
 待ち合わせ場所に行けなかった詫び。土産の礼と生まれて初めて焼きハマグリを口にした父がその味に夢中になったこと。しかし、母はそのせいで父の晩酌の量が2倍になったと嘆いていること。ほかに旅館に尋ねた時の様子も綴られていて、旅館での『忍ババ』とのやり取りのくだりは、ミチエも腹を抱えて笑った。
 確かに修学旅行は楽しかったが、心残りは、泰滋と会えなかったことだ。ミチエはバスケの練習で上がらない腕に鞭を打って、ペンを握った。

 京都の泰滋は、ミチエから返事がきたことに驚いた。そして、手紙を読んでさらに驚く。
『本当にすまないと感じていらっしゃるのなら、写真を送ってください。ミチエ』
 頭文も、挨拶もない。欲しいものをストレートに記した、たった1行の手紙。
「えらいこっちゃ、ポートレイトかいな…。」
 泰滋が思わずそうつぶやいたのは、何も自分の姿が知れることを躊躇したのではない。当時、写真は貴重品であったのだ。気軽に写真を撮って送る時代ではない。今でこそスマホで写真を撮り、メールで送るなど簡単にできるが、当時は、まずカメラが貴重品。フィルムも高価。撮ったら写真館へ持込み現像、そして焼きつけ。これも決して安いものではなかった。しかも、デジタル写真ではないので、何度も撮り直しができない。綿密に計画を練り、背景と構図を何度も確認した後に、必殺のワンショットを決めなければならない。
 しかし泰滋は幸いにも、カメラ、フィルム、そして大学の部室に現像設備を持っている。しばし考え込んだ後、彼は腹を決めて友人達を招集した。ポートレイト撮影プロジェクトが始動した。
 ポートレイトのコンセプトは、知性、清潔、躍動、どれでいく?どの背景で、どういう構図で、どんなポーズで…。顔のどちら側から見たら写真映えがするのか。おい、服はどないするんや。などなど、喫茶店で喧々諤々話しあった結果、天気を見計らってチームは北大路橋が望める賀茂川の河川敷に集結した。