ウ・テ・ル・ス

『仕事に行く。家でじっとして待っていろ。冷蔵庫にあるものは好きに飲み食いしていい。ただしそれ以外のものは決して触るな。』
 真奈美はクスッと笑った。彼らしい文章で、高慢そうな彼の表情が浮かんでくるのだが、真奈美はこの文章に書ききれていない彼の気持ちが手に取るようにわかる。メモの文章の最後にかっこで(と言ってもお前は俺の言うことをきかないだろうな。)という文字が見えてくるのだ。
『そう、あなたの思うとおりにはならないわよ。』
 真奈美は、冷蔵庫にあった間に合わせの食材で軽い食事終えると、家事大作戦を決行した。洗濯、布団干し、そして、ドックから放たれたお掃除ロボットとルンバを踊りながらの大掃除。観葉植物に話しかけ彼らが一番気持ちいいと言っている位置にプランターをずらし、キッチン収納の中をのぞきこんでは、調理具や食器を効率的な場所に収納し直す。
 考えてみれば家事をしながら男の帰りを待つなんて初めての経験だ。もともと家事が嫌いではなかったが、いつもより何となく楽しいかも知れない。わずかな期間しかないが、誰か知らない人の受精卵が自分の身体に流し込まれる日まで、出来るだけ、忙しく楽しく暮らしたい。室内のあちこちが綺麗になっていく達成感で、彼女も建設的に物事が考えられるようになっていた。
 キッチン、リビング、寝室での作業をひと通り終え、さて裸になっていよいよ風呂掃除だと、バスルームに向おうした時、リビングのドアに呆れて立ち尽くす秋良に気づいた。
「たった数時間、家を空けただけなのに俺の部屋ではなくなっている…。お前は魔法使いか?」

 秋良は、真奈美をリビングのソファーに座らせた。
「メモは読んだよな。」
 真奈美はどこから探してきたのか、秋良のジャージの上下を身にまとい、長すぎる袖と丈をまくりあげている。だらしなくもあり、可愛らしくもあり…。頭を掻きながら言い訳する真奈美を、秋良は不思議な面持ちで眺めていた。
「だって、面白そうなDVDもないし、ただ待っていてもつまらないし…。」
 秋良はじっと見つめたまま黙っている。
「それで…私はこれからどこで暮らしたらいいの?」
「不本意だが…出産が終わるまで俺の家だ。」
 真奈美の目がクリッと光った。嬉しいことがあった時の彼女の表情だ。
「仕事に支障が起きないように、俺が監視する。」