「こっち来て」

 横になったまま、桜は弱々しく右手を拓人に伸ばした。拓人が戸惑いながらそっと桜の白い手を握る。

「キスして」

 手に触れた事で糸が切れたのか、目に涙を浮かべ、桜は小さく、そう申し出た。拓人が黙って近付き、握っていた手を離し、大きな掌で桜の両頬を包み、額をくっつける。

「ごめんね、ごめんね……」

 目を閉じ、涙を流しながら桜は何度もそう呟いた。拓人が額をくっつけたまま小さく首を振る。そして、少しだけ辛そうに顔を歪めた後で、 涙で塗れている桜の唇にそっと唇を合わせてきた。

「拓ちゃん……」

 こらえきれなくなり、桜は拓人の首に抱き付いた。拓人はしっかりと桜を抱き締めた。




「……俺、ナナを送ってくから」

 七海は相当ショックを受けているようで、準平に支えられるように拓人の視界から遠ざかっていく。

『拓ちゃん……』

 一人になった拓人の耳に、桜の哀しい声が蘇る。

「怖い……」

 拓人の首に抱き付いて桜がささやく。

「怖いよ、拓ちゃん……」

 震える背中を拓人は優しく撫でた。

「ごめんね……」

 桜がまたささやく。

「こんな時、ドラマや映画なら、相手を想って別れるんだろうけど……ごめん、あたし、そんなのできない……」

「そんな必要ない」

 桜を抱き締めて拓人もささやき返した。

 そんな必要はない。

 今までにないくらい、強く桜を想う。

「……大丈夫だ」

 根拠など何もなかったが、拓人はそう言って、強く強く、桜を抱き締めた。




 どこへともなくフラフラと歩き出しながら、拓人は唇を噛み締めた。

 覚悟してたんだな……。

 突然の病名告知にも動揺せず、心配して駆けつけた拓人たちに、気丈に状況説明をした桜。恐らく、祖母や伯母の話から、将来自分もその病と対峙する事になるかもしれないと、思っていたのだろう。