「いまだに名乗ってなかったね。私は田辺 伊之介(たなべ いのすけ)。家では『おいの』で通してるけどね」

 気付けば声も、若干だが低くなっている。
 今まではやはり、声を出すときは少し意識していたのだろう。

「伊之介さんか。何か、おいのちゃんって呼んだほうが、しっくりくるな。やっぱりナリのせいだろうな」

「そうだろうね。私も『伊之介さん』って呼ばれても、考えないと自分のことだってわからないよ」

 ふふ、と笑い、伊之介は少し足を崩した。

「やっぱり、男に戻る努力をするよ。折角政吉が、地元から離してくれたんだ。この旅の間に、女装を止めようと思う」

 え、と政吉が顔を上げた。

「いろいろ話して、随分気が楽になった。今までは『女でないと』っていう気が強くて、必要以上に女寄りになってたんだ。貫七さんに惹かれたのも、そのため……いや、ちょっと違うかも」

 ちょっと赤くなって、照れ臭そうに伊之介は頭を掻いた。

「何だろう。私のために必死になってくれるってのが、嬉しかったんだよね。政吉はさぁ、あんまりそういうの、表に出さないし。今回の旅の目的が、私を違う環境に置いてあげようっていう考えだったってのも、今初めて知ったわけだし。何か、そこまで政吉が私のことを考えてくれてるとは、思ってなかったんだ。どっちかってぇと、主家の変態若様に振り回されて、迷惑してそうだったし」