「断る」
一言で斬り捨て、ドアを閉めてやろうとすると。
「ねえ、椎名初芽ちゃんは元気?」
初芽の名前が聞こえ、思わず手を止める。
顔を上げると、大久保はその顔に意地の悪い笑みを浮かべていた。
その途端、嫌な予感が胸に湧きあがる。
「まさかお前、初芽になにか……」
「顔色が変わったわね」
何がおかしいのか、彼女は口の両端を吊り上げる。
「ねえ、行きましょうよ。可愛い初芽ちゃんの話をしましょう」
「ここでじゅうぶんだ。初芽に何をするつもりだ?」
「私のいうことを聞いてくれなければ、何も話さないわ」
一番の弱点をにぎられてしまっては、仕方がない。
舌打ちをひとつすると、俺は大久保に従った。
彼女は一緒にタクシーに乗るように指示をする。
その車内で、彼女は濃い色のルージュを塗った口を開いた。
「そういえば、聞いたわよ。異動先、北京なんですってね」
「誰がそんなことを?」
「地区長から他の店長にぽろっとこぼしたみたいよ。すぐに初芽ちゃんの耳にも入るんじゃない?」
ということは、すでに地区内で噂のタネになっているということか。
地区長……人事から発表があるまで、他のやつにばらすなよ。
「退社したお前に、いちいち情報を流している暇なやつは誰だ」
「誰とは言えないわ。仲の良かったひとなら、たくさんいたもの」
おそらく、パートや女性社員のことだろう。
バスを降りると、そこは初芽が応援に行った店舗の近くだということに気づく。



