塾を9時に終えて自宅に帰り着くと、ポケットに押し込んでいたハンカチを取り出した。

綺麗にアイロンがかけられたそれの端に、
【 岸本 杏 】
と、油性マジックで記名されている事に気が付いた。


そうか。
俺が気になっていたあの子の名前は、杏って言うんだ…。


だなんて冷静に想いながらも、顔が熱くなるのを感じた。

あの図書館で、同じ時間帯に何度も見かけていたあの子。

分厚い本を読みながら、口元に手を当てて微笑んでいたあの子。

正確な理由なんて考えても思いつかなかったけれど、俺はあの子が居る時は、好きな読書すらもそっちのけでその姿を目で追うようになっていた。

俺の学校はさほど生徒数も多くなかったし、学年が違うにしても顔すら知らない人はいない。

だから、同じ学校ではないという事は直ぐに分かる。

あの子はこの図書館には一人で来る事が多かったけれど、時々友達と一緒に来ていたりもしていて。

それを見ると、やっぱり違う市の学校に通う子なんだろうと確信した。


この図書館だけが、あの子と繋がる唯一の神聖な場所だった…